マルク・シャガール:重力を超えて宙を舞う恋人たち、愛と望郷のユダヤの伝統を描き抜いた「愛の詩人」
高知県立美術館にも膨大なコレクションがあるシャガール。ロシアの貧しいユダヤ人の村の記憶と、最愛の妻ベラへの熱い愛を、青や赤の幻想的で美しい色彩の中にちりばめた「愛の画家」の生涯の物語。
マルク・シャガール(1887-1985)は、ロシア帝国(現在のベラルーシ)出身でフランスを拠点に活動した画家です。エコール・ド・パリの代表的存在で、宙を舞う恋人たちや故郷の村の記憶を描き続けました。
生涯:ヴィテブスクからパリへ、そして亡命
1887年、ヴィテブスク近郊のユダヤ人家庭に生まれました。父はニシンの倉庫で働く労働者で、決して裕福ではありません。ペテルブルクで舞台美術家レオン・バクストに学んだのち、1910年にパリへ出て、モンパルナスの共同アトリエ「ラ・リュシュ(蜂の巣)」に住みます。ここでキュビスムやフォーヴィスムの色彩を吸収しました。
1914年に帰郷して足止めされ、1915年にベラ・ローゼンフェルトと結婚。ロシア革命後は故郷ヴィテブスクの美術学校長を務めましたが、抽象を推すマレーヴィチらと対立して職を辞し、1923年にフランスへ戻ります。第二次世界大戦下の1941年、ユダヤ人迫害を逃れてアメリカへ亡命。1944年にベラを病で失い、しばらく制作が止まりました。戦後フランスに戻り、南仏を拠点に版画、陶芸、ステンドグラス、舞台美術へと仕事を広げ、1985年、サン=ポール=ド=ヴァンスで97歳で没しました。
画風の特徴
遠近法にも重力にも従いません。人や動物が空に浮かび、家が傾き、顔が緑や青に塗られます。これは夢の描写というより、記憶の中で複数の出来事が同時に存在する状態を画面に置き換えたものです。深く澄んだ青は「シャガール・ブルー」と呼ばれ、晩年のステンドグラスでその効果が最大化されました。
版画にも力を注ぎ、ゴーゴリ『死せる魂』や『聖書』の挿絵など、大規模な連作を残しました。晩年はステンドグラスと陶芸に本格的に取り組み、フランスのランス大聖堂やメス大聖堂、エルサレムのハダサ病院シナゴーグの窓を手がけています。
代表作
- 私と村(1911年/ニューヨーク近代美術館):緑の顔の男と白い牛が見つめ合う初期の代表作です。
- 誕生日(1915年/ニューヨーク近代美術館):ベラが花束を持って現れた瞬間を描いています。
- 街の上で(1914-18年/トレチャコフ美術館):故郷の街並みの上を、抱き合って飛ぶ二人。
- パリ・オペラ座(ガルニエ宮)天井画(1964年):モーツァルトやワーグナーなど作曲家たちへ捧げた円形の大画面です。
- 《アレコ》舞台背景画(1942年):亡命中に手がけたバレエの背景画で、4面のうち3面を日本の美術館が所蔵しています。
同時代の画家との関係
パリではモディリアーニ、スーティン、藤田嗣治らエコール・ド・パリの作家と同じ環境で活動しました。詩人アポリネールが早くから支持し、ドイツでの発表を後押ししています。シュルレアリストたちはシャガールを先駆者として迎えようとしましたが、本人は運動への参加を拒みました。
日本で見られるか
国内でシャガールを見られる施設は多くあります。高知県立美術館は油彩5点と版画1,202点という世界有数のコレクションを持ち、常設展示室で定期的に公開しています。青森県立美術館はバレエ《アレコ》の巨大な舞台背景画3面を所蔵し、専用の吹き抜け展示室で見せています。ほかにポーラ美術館、東京富士美術館などが油彩を所蔵しています。
見どころ
画面のどこに「上」があるかを探してみてください。多くの作品で上下の基準が複数あり、それが浮遊感を生んでいます。もう一つは色の面積です。特に青の作品では、青が背景ではなく光源として機能しています。《アレコ》のような大画面では、離れて全体の色の流れを見てから、細部の小さな人物を探すと構成が見えてきます。
代表作ギャラリー








作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)
