フェルディナント・ホドラー:湖と山と「選ばれし者」、スイスが生んだ象徴主義の巨匠

フェルディナント・ホドラー:湖と山と「選ばれし者」、スイスが生んだ象徴主義の巨匠

画家

レマン湖の水平線、整列する人物たちの祈り、死にゆく恋人の連作。ホドラーは「平行主義」の理論で、自然と人間の根源的なリズムを描いたスイス国民画家です。

はじめに:反復のリズムに神を見た画家

フェルディナント・ホドラー(1853-1918)は、スイスの画家です。貧困と家族の相次ぐ死という過酷な少年期を経て、ジュネーヴで画家として立ちました。自然と人間に繰り返し現れる対称と反復——「平行主義(パラレリズム)」——にこそ世界の秩序が宿るとする独自の理論で、象徴主義からモダニズムへの橋を架けました。

生涯:死に囲まれた少年が、国民画家になるまで

ホドラーは1853年、スイスの首都ベルンに指物師の子として生まれました。8歳で父を、14歳で母を亡くし、きょうだいも結核で次々に世を去ります。身近な人の死を繰り返し見送った経験が、生涯のテーマを決定づけました。

10代ではトゥーンの風景画家ゾンマーのもとで観光客向けのアルプス風景を量産し、1871年、18歳でジュネーヴへ。美術学校のバルテルミー・メンに学び、写実の基礎と構図の原理を叩き込まれました。

転機は1891年。象徴主義的な大作「夜」がジュネーヴ市の展覧会で「風紀に反する」として展示を拒否されます。ホドラーはこれをパリのサロンに出品し、大成功を収めました。故郷での拒絶がヨーロッパ規模の名声に転じたのです。以後、ウィーン分離派とも交流し、スイス国立博物館やイエナ大学の歴史壁画など公的な大仕事を任される国民的画家となります。

晩年は再び死と向き合いました。恋人ヴァランティーヌ・ゴデ=ダレルの闘病と1915年の死を、彼は絵に描き続けます。その後はレマン湖の風景に沈潜し、1918年、ジュネーヴで65歳の生涯を閉じました。

画風の特徴:平行主義という設計図

ホドラーの絵を一目で見分けさせるのは反復と対称です。同じポーズの人物を横一列に並べる、木々を等間隔に配する、湖と山と雲を平行な帯として重ねる——彼はこれを「パラレリズム(平行主義)」と呼び、自然界の秩序を絵画で再現する方法だと考えました。輪郭線は太く明快で、色は補色を隣り合わせに置いて振動させます。晩年になるほど細部は削ぎ落とされ、レマン湖の連作は水平の色帯だけの、抽象の一歩手前まで到達しました。象徴主義の主題を、近代的な構成で語った点が独自性です。

代表作

  • (1889-90年/ベルン美術館):眠る人々の中央で、黒い影にのしかかられて目を見開く男(画家自身)。展示拒否が逆に彼の名を欧州に轟かせた出世作です。
  • 選ばれし者(1893-94年/ベルン美術館):花を植える少年を、宙に浮く天使たちが対称に取り囲む幻想的な画面。平行主義の代表例です。
  • マリニャーノからの退却(1900年/スイス国立博物館、チューリヒ):国家的な壁画事業として制作された歴史画で、国民画家としての地位を決定づけました。
  • ヴァランティーヌの死の連作およびレマン湖の風景連作(1915-18年):個人的な悲しみと、水平線だけの静けさ。晩年の二本の柱です。

同時代の画家との関係

師はジュネーヴのバルテルミー・メンで、この人を通じてコローの写実の系譜につながります。同時代では、ノルウェーのムンクとしばしば並べて語られます。生と死、不安を主題にした点、太い輪郭線とうねる線を使った点が共通するためです。またウィーンでは分離派に迎えられ、クリムトら世紀末ウィーンの画家たちに強い刺激を与えました。晩年のレマン湖連作は、後のマーク・ロスコの色面絵画を先取りしたとしばしば評されます。

日本で見られるか

ホドラーの主要作はベルン美術館、ジュネーヴ美術・歴史博物館などスイス国内に集中しており、国内に主要作品は多くありません。国内では大原美術館(岡山県倉敷市)が作品を所蔵しています。まとまった作品を見るには、2014-15年に国立西洋美術館と兵庫県立美術館で開かれた大回顧展のような、数十年に一度の企画展を待つことになります。

見どころ

  • 「繰り返し」を数える:人物のポーズ、木々、雲。画面内の反復を探すと、ホドラーの音楽的な設計が見えてきます。
  • スイス紙幣の画家:かつてスイス・フラン紙幣の意匠に彼の人物像が使われました。アルプスの国の精神性という文脈で見ると腑に落ちます。
  • 水平線の位置:晩年の湖の絵は、水平線が画面のどこにあるかだけで印象が変わります。

まとめ

ホドラーは、個人の悲しみを宇宙のリズムへ広げた画家です。静かな反復の画面に、深い呼吸のような安らぎがあります。

代表作ギャラリー

夜
1890年ベルン美術館
選ばれし者
選ばれし者1903年(第2作)
レマン湖とモンブラン
レマン湖とモンブラン1918年

作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)