岡本太郎:縄文の美に雷打たれ、「芸術は爆発だ!」と叫び続けた情熱の前衛芸術家

岡本太郎:縄文の美に雷打たれ、「芸術は爆発だ!」と叫び続けた情熱の前衛芸術家

画家

「太陽の塔」や巨大壁画「明日の神話」を創り出し、お茶の間でも大人気スターだった岡本太郎。特権階級の綺麗ごとのアートを否定し、「誰にでも開かれた、剥き出しの生命力」としての芸術を生涯叫び続けた男の物語。

岡本太郎(1911-1996)は、日本の画家・彫刻家です。前衛芸術家として制作を続ける一方、著述やテレビ出演でも広く知られ、戦後日本で最も名の通った芸術家の一人となりました。

生涯:パリの10年、縄文との出会い、そして万博

1911年、現在の川崎市に、漫画家・岡本一平と作家・岡本かの子の長男として生まれました。東京美術学校に入学しますが半年ほどで中退し、1930年に渡仏。以後1940年まで10年間をパリで過ごします。パリ大学ソルボンヌ校では哲学から民族学へ移り、文化人類学者マルセル・モースの講義を受けました。この体験が、のちに彼が「芸術は民族の生活の根から生えるもの」と考える土台になります。制作面では抽象芸術の団体アプストラクシオン・クレアシオンに参加し、シュルレアリスムの周辺の作家たちとも交流しました。

1940年に帰国、召集されて中国戦線へ送られ、戦後に復員します。パリのアトリエに残した戦前作品はほとんど失われました。1951年11月、東京国立博物館で縄文土器を見て衝撃を受け、翌1952年に雑誌『みづゑ』へ「四次元との対話――縄文土器論」を発表。左右非対称で過剰な縄文の造形こそ日本美術の原点だと主張し、それまで主流だった簡素な美意識への評価に一石を投じました。1970年の大阪万博ではテーマ館のプロデューサーを務め、《太陽の塔》を実現。1996年、84歳で没しました。

画風の特徴

強い原色、太い黒い輪郭線、目のようなモチーフの反復が特徴です。相反する要素を画面上で正面衝突させる「対極主義」を自ら唱え、調和よりも緊張を優先しました。絵画にとどまらず、彫刻、公共建築の壁画、椅子や鯉のぼりなど日用品のデザインまで手がけています。

代表作

  • 太陽の塔(1970年/万博記念公園、大阪府吹田市):高さ約70メートル。内部の《生命の樹》は長く非公開でしたが、2018年から予約制で公開されています。
  • 明日の神話(1968-69年/渋谷駅連絡通路):全長約30メートルの壁画。メキシコで行方不明になっていたものが2003年に発見され、修復を経て2008年に渋谷へ恒久設置されました。
  • 重工業(1949年/川崎市岡本太郎美術館):機械の前にネギの花が浮かぶ、対極主義を体現した初期の代表作です。
  • 傷ましき腕(1936年/川崎市岡本太郎美術館):パリ時代の代表作。原作は戦災で失われ、戦後に本人が描き直しました。
  • 《坐ることを拒否する椅子》(1963年):座面が突起だらけの椅子。生活の中に置かれた作品の代表例です。

同時代の画家との関係

パリではアプストラクシオン・クレアシオンでモンドリアンやカンディンスキーらの周辺に身を置きました。帰国後は花田清輝らと「夜の会」を結成し、美術と文学を横断する戦後前衛の場をつくります。1950年代には、旧来の日本画・洋画の枠組みや、わび・さびを基調とする伝統的美意識を公然と批判し、若い作家に大きな影響を与えました。

日本で見られるか

作品の大半が国内にあります。川崎市岡本太郎美術館が絵画・彫刻を体系的に所蔵しています(ただし改修工事のため2026年3月30日〜2029年3月末は展示室での展覧会を休止中)。南青山のアトリエ跡である岡本太郎記念館では制作の現場そのものを見学できます。《太陽の塔》は万博記念公園に、《明日の神話》は渋谷駅の通路に常設されており、いずれも無料または低額で見られます。

見どころ

《太陽の塔》は正面だけでなく背面へ回ってください。黒い太陽が塗られています。絵画では、輪郭線の太さが場所によって変わっていることに注目を。線の勢いが画面のどこから始まっているかが読み取れます。《明日の神話》は通勤客が行き交う通路にあり、じっくり立ち止まる人は多くありません。あえて端から端まで歩いて、原爆の炸裂する中心部と両端の落差を体感するのがおすすめです。