モーリス・ドニ:「絵とは平らな面である」、20世紀絵画を予言したナビ派の理論家
「絵画とは本質的に、ある秩序のもとに集められた色彩に覆われた平面である」。20歳でこの宣言を書いたドニは、ナビ派の理論的支柱にして、優しい宗教画を描いた「美しきイコンのナビ」でした。
はじめに:20歳の宣言が美術史を変えた
モーリス・ドニ(1870-1943)は、フランスの画家にして理論家です。1890年、弱冠19歳で発表した「絵画とは、軍馬や裸婦や何らかの逸話である以前に、本質的に、ある秩序のもとに集められた色彩に覆われた平らな面である」という一文は、絵画を「何を描くか」から「いかに構成するか」へ転換させ、20世紀抽象絵画の到来を予言した宣言として美術史に刻まれています。
生涯:ナビ派の若者から、宗教画の大家へ
ノルマンディーのグランヴィルに生まれ、パリ近郊のサン=ジェルマン=アン=レーで育ちました。少年期から信仰と絵画に人生を捧げると日記に記していた、早熟で敬虔な青年です。1888年、アカデミー・ジュリアンでポール・セリュジエ、ピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤールらと出会い、翌年ナビ派(ヘブライ語で「預言者」の意)を結成。セリュジエがゴーガンの助言のもとで描いた小さな板絵《タリスマン(護符)》が、彼らの出発点となりました。
1893年に最愛のマルト・ムーリエと結婚。彼女は生涯にわたる主要なモデルとなります。1900年代以降はイタリアの古典絵画に傾倒して画風を穏やかにし、宗教美術の復興運動に力を注ぎました。1919年には聖美術工房を設立し、教会の壁画やステンドグラスを数多く手がけます。晩年はサン=ジェルマン=アン=レーの旧修道院を住居兼アトリエとし、1943年、パリで交通事故により亡くなりました。この住居はのちにモーリス・ドニ美術館として公開されています。
画風の特徴:平面・輪郭・装飾
ドニの絵は、影による立体表現をほとんど用いません。色面を並べ、太めの輪郭線で区切り、画面全体を装飾的なリズムでまとめるのが基本です。人物は個別の肖像というより、大きな模様の一部として配置されます。色彩は淡いピンク、若草色、乳白色といった穏やかなトーンが多く、同じナビ派でもボナールの官能的な色彩やヴュイヤールの密度の高い室内とは異なる、清らかで夢見るような世界を築きました。日本の浮世絵から学んだ縦長の構図や大胆な余白の使い方も、ナビ派に共通する特徴です。
代表作
- 「ミューズたち」(1893年/オルセー美術館、パリ)——サン=ジェルマンの森の女性たちと木々が、タペストリーのように平坦で装飾的な画面に織り込まれます。落ち葉の模様が床のように広がる、ドニの代表作です。
- 「セザンヌ礼賛」(1900年/オルセー美術館、パリ)——ルドン、ヴュイヤール、ボナールらが画商ヴォラールの店でセザンヌの静物を囲む場面。ナビ派世代がセザンヌを「近代絵画の父」に押し上げていく瞬間を記録した一枚です。
- 「緑の木のある風景(ブナの木立)」(1893年/オルセー美術館、パリ)——行列する人物と木立を、平面的な色面で構成した初期の代表作です。
- 「ヴィラ・メディチ、ローマ」(1921年/国立西洋美術館)——イタリア体験後の明るい色調がよくわかる作品で、日本で実見できるドニの一点です。
同時代の画家との関係
ドニに最も大きな刺激を与えたのはゴーガンでした。ゴーガンの助言をセリュジエが持ち帰り、それがナビ派の理論に結実します。仲間のボナール、ヴュイヤール、ヴァロットン、ランソンらとは同じ主題を共有しながら、それぞれ別方向へ進みました。ボナールは色彩へ、ヴュイヤールは室内へ、ドニは清らかな理想へ。またドニはセザンヌの重要性をいち早く論じた批評家でもあり、評論と絵画の両方でセザンヌ再評価を牽引しています。マティスら次世代のフォーヴィスムは、ドニの「平面としての絵画」という考え方を出発点のひとつとしました。
日本で見られるか
ドニは、日本で意外なほど充実して見られる画家です。国立西洋美術館が油彩・素描を多数所蔵しており、これは実業家・松方幸次郎が1920年代初頭にドニ作品をまとまって購入した松方コレクションに由来します。フランス国外では最大規模のドニ・コレクションのひとつとされ、《ヴィラ・メディチ、ローマ》《踊る女たち》《字を書く少年》などが収蔵されています。版画素描展示室でドニの素描を特集する展示も過去に行われました。ナビ派の企画展は日本でも人気があり、まとまって見る機会は比較的多い画家です。
見どころ:実物の前で何を見るか
ドニの絵の前では、まず「これは平らな面の上の色の秩序だ」とつぶやいてみてください。風景が突然、音楽のような抽象的リズムに見えてきます。次に輪郭線の太さを見ること。人物と背景を同じ強さの線で囲むことで、遠近ではなく模様として画面が読めるようになっています。そして絵具の薄さ。ドニは絵具を厚く盛らず、下地の白を透かせて画面を軽く保ちます。壁の一部としての絵画を目指した装飾画家の判断です。
まとめ
ドニは、絵筆と言葉の両方で近代絵画の扉を開けた稀有な存在です。理論と抒情が同居するその作品は、「考える絵画」の楽しさを教えてくれます。
代表作ギャラリー


作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)