『異邦人(いりびと)』:京都の美術界を舞台に、才能と業を描くアート小説
東京の美術館の一人娘で副館長の菜穂が京都で出会った、無名の天才画家。美を見抜く目を持つ者の歓びと業、京都画壇の伝統と閉鎖性を描く長編アート小説です。
はじめに:「見出す者」の物語
『異邦人(いりびと)』(原田マハ 著)は、京都の美術界を舞台にした長編小説です。主人公は、東京の有吉美術館で副館長を務める篁菜穂。たかむら画廊の専務・篁一輝の妻でもある彼女は、東日本大震災のあとの東京を離れ、身重の体で京都のホテルに長逗留することになります。そこで街の画廊で一枚の絵に出会い、心を奪われる。描いたのは、声を失った無名の若い女性画家・白根樹でした。才能を「見出す者」の歓びと危うさを描くアート小説です。
書誌
PHP研究所の月刊誌『文蔵』に2012年5月号から2014年4月号まで連載され、2015年2月に単行本、2018年3月にPHP文芸文庫として刊行されました。連載開始時、著者はこの作品を、これまでの明るい作風に対する「黒マハ」だと表現しています。予告どおり、読み心地はかなり不穏です。
著者について
原田マハは1962年東京生まれ。大学で美術史を学び、美術館勤務やキュレーターとしての実務を経て小説家になった経歴の持ち主です。アンリ・ルソーの一枚をめぐる『楽園のカンヴァス』で2012年の山本周五郎賞を受賞し、『暗幕のゲルニカ』『ジヴェルニーの食卓』など、実在の画家や作品を軸にした小説を書き続けています。そのなかで本作は、実在の名画ではなく架空の画家と架空の絵を中心に据えた点が異色です。
この本の3つの見どころ(読みどころ)
1.京都という街の磁力
四季の移ろい、寺社と庭、そして京都画壇の伝統。竹内栖鳳や上村松園を生んだ古都の美の土壌が、物語全体を包み込みます。原田マハは京都の地名や店を具体的に書き込んでいくので、地図を片手に読むとそのまま散歩コースができあがるほど。震災後の東京の緊張と、変わらぬ京都の静けさが対比される構成も効いています。
2.「目利き」という才能の孤独
絵を描く才能ではなく、絵の価値を見抜く才能。画商やギャラリスト、蒐集家といった「見る側」の人間の業を正面から描いた小説は貴重で、値付けや作家の囲い込みといった美術市場の生々しさも垣間見えます。美術館勤務やキュレーター経験を持つ著者ならではの内側の視線は、本作でも健在です。
3.夫婦・親子の緊張感あるドラマ
美術館と画廊を担う夫との確執、生まれてくる子への想い、そして樹の才能への執着。美をめぐる物語と家族の物語が交錯し、後半は一気に不穏さを増していきます。ページをめくる手が止まらなくなる一方、菜穂の行動には賛否が分かれるところもあり、読書会で語り合うと盛り上がる一冊でもあります。
どんな読者に向くか
美術の予備知識は必要ありません。日本画の技法や画壇の仕組みは、菜穂の目線から必要なぶんだけ説明されます。ただし本作は、明るい美術入門小説を期待して読むと肩透かしを食らいます。人の欲と執着を書く小説なので、読後感の重さを受け止められる人向けです。逆に、京都が好きな人、美術業界の内側を覗いてみたい人、そして家族の物語としてのサスペンスを求める人には強く刺さります。一気に通して読むのに向いた本です。
類書との違い
同じ著者の西洋美術ものが、実在の名画をめぐる謎解きの形をとるのに対し、本作の軸は日本美術と日本の画壇です。しかも中心にあるのは架空の画家と架空の一枚。実在の作品に寄りかからないぶん、「絵の価値は誰が決めるのか」という問いだけが純粋に残ります。美術ミステリーというより、心理小説として読むほうが近いかもしれません。
この本を読んだ後の、おすすめのアクション
京都の美術館を巡る:京都市京セラ美術館や京都国立近代美術館で、竹内栖鳳から上村松園へと続く京都画壇の系譜を実際に辿ってみると、本作の背景がぐっと立体的に見えてきます。
ドラマ版と見比べる:2021年11月から12月にかけて、WOWOWの連続ドラマとして高畑充希主演で放送されました。京都の四季が映像で味わえるので、原作を読んだあとの答え合わせとしても楽しめます。
まとめ
『異邦人』は、「美しいものを見てしまった人間はどうなるのか」を問いかける長編小説です。読み終えたあと、自分が絵を「見る」ときの気持ちを少しだけ疑ってみたくなる一冊です。
Kindle版:異邦人(PHP文芸文庫)
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