キース・ヘリング:地下鉄の落書きから世界へ、輝く赤ん坊を描き続けた愛と連帯のアーティスト
ニューヨークの地下鉄の黒い広告板にチョークで描き続け、瞬く間に世界のアイコンとなったキース・ヘリング。エイズと闘いながら「アートはみんなのために」を貫いた、31年の鮮烈な生涯。
キース・ヘリング(1958-1990)は、アメリカの画家です。1980年代のニューヨークで活躍しました。輝く赤ん坊「ラディアント・ベイビー」、吠える犬、踊る人々。太い輪郭線だけで描かれるシンプルな記号は、言葉や国境を越えて伝わるサインとなりました。「アートはみんなのために」という信念のもと、美術館の外へ、街へ、人々の暮らしのなかへアートを解き放った作家です。
生涯
1958年、ペンシルベニア州レディングに生まれ、近郊のカッツタウンで育ちました。漫画好きの父の影響で幼いころから線を描くことに親しみ、1978年にニューヨークへ出てスクール・オブ・ヴィジュアル・アーツ(SVA)に入学します。当時のダウンタウンは、グラフィティ、ヒップホップ、クラブカルチャーが渦を巻く場所で、ヘリングはジャン=ミシェル・バスキアらと交わりながら頭角を現しました。
出発点は地下鉄構内でした。期限切れの広告の上に貼られた黒いマット紙に、白いチョークで素早くドローイングを描く「サブウェイ・ドローイング」です。1980年代前半に数千点を制作し、通勤客に知られる存在になります。1982年、トニー・シャフラジ・ギャラリーでの初個展で一躍注目を集めました。
その後も社会とつながる活動を続けます。1986年6月には麻薬の蔓延に警鐘を鳴らす壁画《クラック・イズ・ワック》を無許可で描いて逮捕されましたが、罰金刑にとどまり、市は逆に壁画の保存に動きました。同じ1986年にはベルリンの壁への壁画制作、そして自作グッズを扱う「ポップショップ」の開店と、「アートの民主化」を実践します。1988年にエイズと診断されてからは、啓発と偏見との闘いに残された時間を捧げ、1989年にキース・ヘリング財団を設立。1990年2月16日、31歳で亡くなりました。
画風の特徴
特徴は、迷いのない一本の太い黒線です。ヘリングは下描きをせず、はじめから完成形を描き切りました。人物には顔がなく、性別も人種も年齢も示されません。だからこそ誰もが自分を重ねられます。線の周囲に引かれた短い放射線が、動き・振動・光を表す独自の記号として働きます。色は赤・黄・青・緑の原色を平塗りにし、余白を残さず画面全体を図形で埋め尽くします。素材はチョーク、ヴィニールシート、防水シート、公共の壁と幅広く、いずれも「多くの人の目に触れる場所」が選ばれました。
代表作
- サブウェイ・ドローイング(1980年代前半):地下鉄の黒い広告板に描かれたチョークの線描群。消されては描き続けられたこの営みこそ、ヘリング芸術の原点です。
- ラディアント・ベイビー:光を放ちながらハイハイする赤ん坊。生命の希望と純粋さを表す、彼の署名ともいえる図像です。
- クラック・イズ・ワック(1986年、ニューヨーク市ハーレム):東128丁目とハーレム・リバー・ドライブに面したハンドボールコートの壁画。骸骨や蛇といった暗い図像を用い、社会へのメッセージとアートを一体化させました。現在は市の公園(クラック・イズ・ワック・プレイグラウンド)として保存されています。
- ベルリンの壁の壁画(1986年):分断の壁に、黒・赤・黄のドイツ国旗の色で人が連なる姿を描いた作品。壁の崩壊以前に、つながりを願って描かれました。
- アンタイトルド(無題)の彫刻群:晩年に手がけた彩色スチール彫刻。平面の記号を立体へ翻案し、公共空間での展示が続いています。
同時代の画家との関係
同じ時代のニューヨークで彗星のように現れたジャン=ミシェル・バスキアとは親しい友人であり、良き競争相手でした。アンディ・ウォーホルとも交流を持ち、大量生産と商品化を肯定するポップの姿勢を、ポップショップという形で受け継いでいます。ウィリアム・バロウズやグレイス・ジョーンズら、美術の枠を越えた表現者たちとの共作も数多く残しました。
日本で見られるか
山梨県北杜市小淵沢に中村キース・ヘリング美術館があり、世界有数のコレクションをまとめて鑑賞できます。ヘリングのためだけに建てられた美術館は世界でここだけで、日本はヘリングを見るのに恵まれた国です。ヘリング自身も1980年代に来日し、東京で制作やイベントを行っています。
見どころ
まず線の速度を見てください。ヘリングの線は、太さがほとんど一定でありながら、勢いのある箇所と溜めのある箇所があります。修正の跡がないことに気づくと、彼が「描く」というより「一気に書き出す」作家だったことがわかります。次に図像を読み解きましょう。人が人の肩に乗る、腹に穴が開く、犬が人を襲う——単純な記号の組み合わせが、性、暴力、差別、病といった主題を語ります。かわいい絵として見過ごさないことが、彼の作品への最良の敬意です。
