ルシアン・フロイド:容赦なき筆致で肉体を暴いた、20世紀具象絵画の巨匠
精神分析学の祖ジークムント・フロイトを祖父に持ちながら、絵筆一本で人間の肉体と精神を執拗に見つめ続けたルシアン・フロイド。生存中の画家として史上最高額を記録した「ベネフィッツ・スーパーバイザー、眠る」の作者。
ルシアン・フロイド(1922-2011)は、イギリスの画家です。精神分析学の創始者ジークムント・フロイトを祖父に持ち、20世紀後半のイギリス具象絵画を代表する存在となりました。
生涯:ベルリンからロンドンへ
1922年、ベルリンにユダヤ系の建築家の子として生まれました。ナチスの台頭を受けて1933年に一家でイギリスへ移り、1939年にイギリス国籍を取得しています。イースト・アングリア絵画学校でセドリック・モリスに学び、1940年代には細い線で輪郭を追う、シュルレアリスムに近い硬質な画風で頭角を現しました。
1954年にはフランシス・ベーコンらとともにヴェネツィア・ビエンナーレのイギリス代表として出品しています。1950年代末以降、細い筆から豚毛の硬い筆に持ち替え、絵具を厚く積み上げる方向へ大きく作風を変えました。以後は家族、恋人、友人、競馬の調教師など身近な人物を、何十時間もアトリエに座らせて描き続けます。2000年から2001年にかけてはエリザベス2世の肖像も制作しました(ロイヤル・コレクション蔵)。2011年、88歳でロンドンにて没しています。
画風の特徴
主題はほぼ一貫して人物です。しかもモデルの多くは裸で、美化されることがありません。皮膚の下の血の色、脂肪のたるみ、年齢の刻まれ方までが、灰色や黄土色を混ぜた重い肉色で塗り重ねられます。背景は多くの場合アトリエそのもので、剥き出しの床板や擦り切れたソファがそのまま描かれます。
制作は極端に遅く、一点に何百時間もかけました。モデルは同じ姿勢を保ったまま、夜間に何十回も通うことになります。娘たちや友人を繰り返し描いたのは、その拘束に耐えられる相手が限られていたためでもありました。アトリエは自然光と裸電球の二系統に分けられ、昼の絵と夜の絵が並行して進められています。
代表作
- 白い犬を抱く少女(1950-51年/テート、ロンドン):最初の妻キャスリーンを描いた作品。細密な初期様式の代表例です。
- 大きな室内、W11(ワトーによる)(1981-83年/個人蔵):ワトーの構図を借りて、恋人や子どもたちを一人ずつ別々に描いて集合させた大作です。
- ベネフィッツ・スーパーバイザー、眠る(1995年/個人蔵):2008年にクリスティーズで3,360万ドルで落札され、当時の存命作家の最高額となりました。
- 反射(自画像)(1985年/個人蔵):老いていく自分の顔を一切ゆるめずに見つめた自画像です。
- 同時代の画家との関係
フランシス・ベーコンとは1940年代からの親友で、互いの肖像を描き合いました。のちに二人は疎遠になりますが、フランク・アウアーバッハ、レオン・コソフらとともに「ロンドン・スクール」と呼ばれ、抽象全盛の時代にあえて人体を描き続けた画家の一群として語られます。
日本で見られるか
国内に主要な油彩は少なく、常設で見られる場所はほとんどありません。女子美術大学美術館が収蔵品データベースにフロイドの作品を登録しています。1992年には世田谷美術館で回顧展が開かれるなど、まとまった作品を見る機会は企画展に限られます。
見どころ
絵具の厚みを横から見てください。特に額や膝、肩など光の当たる部分は絵具が盛り上がり、実際の凹凸として肉の量感をつくっています。もう一つ、モデルの視線がこちらを向いていないことに注目してください。フロイドの人物は「見られている」のではなく、長時間座らされて疲れた身体としてそこにあります。その距離感が、この画家の肖像の核心です。
