いわさきちひろ:にじむ水彩に子どもの魂を宿した、愛と平和の絵本画家
やわらかなにじみの水彩で、世界中の誰もが「子どもの頃」を思い出す絵を描いたいわさきちひろ。戦争を体験したからこそ「子どもの幸せと平和」を生涯のテーマに描き続けた画家の55年。
いわさきちひろ(1918-1974)は、日本の画家・絵本作家です。水をたっぷり使った水彩のにじみで子どもの姿を描き、絵本というかたちで作品を届け続けました。
生涯:戦争をはさんだ55年
1918年、福井県武生(現在の越前市)に生まれ、まもなく一家で東京へ移りました。母は女学校の教師です。少女期から絵を学び、書は藤原行成の流れをくむ書風を修めました。洋画は岡田三郎助に師事し、のちに中谷泰、丸木俊にも学んでいます。
青春期は戦争と重なりました。1945年5月の空襲で家を焼かれ、疎開先の長野県松本市(母の実家)で敗戦を迎えます。秋には両親が松川村で開拓を始めます。戦後、画家として生きる決意で上京し、紙芝居や絵雑誌の仕事から出発しました。1950年に松本善明と再婚し、翌年に長男が生まれます。わが子を毎日スケッチする日々が、子どもの動きと年齢を描き分ける観察力を育てました。
1960年代から絵本の仕事が本格化し、独自のにじみとぼかしの技法が確立します。1972年、ベトナム戦争の激化を受けて子どもを主題にした素描を発表したことがきっかけとなり、絵本『戦火のなかの子どもたち』の企画が動き出しました。入退院を繰り返しながら1年半をかけて完成させ、その翌年の1974年、肝臓がんのため55歳で亡くなりました。
画風の特徴
紙をあらかじめ濡らし、絵具を落としてにじませる技法を軸にします。輪郭線を引かず、色の広がりの縁がそのまま形になるため、子どもの頬や髪はやわらかく空気に溶けます。同時に、目や口、指先などごく限られた箇所だけを細い線で決めており、この対比が表情を生みます。背景は多くの場合描き込まれず、白い紙が空間として残されます。日本画の顔料や和紙も用い、油彩の写実とは異なる方向を追求しました。
代表作
- あめのひのおるすばん(1968年/ちひろ美術館蔵の原画):留守番をする少女の心の動きだけで進む絵本。物語よりも気持ちを描く「感覚の絵本」の先駆けとされます。
- ことりのくるひ(1971年/ちひろ美術館蔵の原画):1973年にボローニャ国際児童図書展でグラフィック賞を受賞しました。
- 戦火のなかの子どもたち(1973年/ちひろ美術館蔵の原画):ベトナム戦争下の子どもに寄せた最後の絵本です。
- おふろでちゃぷちゃぷ(1970年):幼い子の日常のしぐさを描いたロングセラーです。
- アンデルセンの絵本、赤い蝋燭と人魚など:古典童話の挿絵でも多くの仕事を残しました。
同時代の画家との関係
洋画の師である岡田三郎助からは基礎的なデッサンを、中谷泰からは油彩の造形を学びました。丸木俊は《原爆の図》で知られる画家で、絵本の仕事にも通じる先達です。子どもの本の分野では、赤羽末吉、瀬川康男らと同じ時代に活動し、日本の絵本が独自の表現を獲得していった時期を担いました。
日本で見られるか
原画は国内でまとまって見られます。自宅とアトリエの跡地に建つちひろ美術館・東京(練馬区)は、1977年開館の世界初の絵本美術館です。疎開先ゆかりの長野県安曇野には安曇野ちひろ美術館があり、広い公園と一体になった施設で原画を鑑賞できます。両館とも約9,500点のちひろ作品を核に、世界の絵本原画も所蔵しています。
見どころ
印刷では消えてしまう、絵具の粒が沈んだ縁を探してください。にじみが止まった場所に色が濃く残り、これが形の輪郭になっています。次に、描かれていない白い部分の広さに注目を。何も置かないことで、子どもの周囲の空気と静けさが表現されています。線が引かれているのはどこか、と数えながら見ると、驚くほど少ないことに気づくはずです。
