ジェームズ・ホイッスラー:「芸術のための芸術」を貫き、絵画を音楽のように奏でた耽美の巨匠

ジェームズ・ホイッスラー:「芸術のための芸術」を貫き、絵画を音楽のように奏でた耽美の巨匠

画家

《母の肖像》で知られ、絵画に《ノクターン》《シンフォニー》と音楽の題名を与えたホイッスラー。浮世絵に学び、「芸術のための芸術」を掲げてラスキンと法廷闘争まで演じた反骨の耽美主義者。

ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(1834-1903)は、アメリカに生まれ、ロンドンとパリを舞台に活躍した画家です。絵画は物語や教訓を語るものではなく、色と形の調和そのものを味わうもの——。この「芸術のための芸術」の信念のもと、自作に《ノクターン(夜想曲)》《シンフォニー》《アレンジメント》といった音楽の題名を付けました。日本の浮世絵から大きな影響を受けたジャポニスムの先駆者としても、美術史に重要な足跡を残しています。

生涯:士官候補生からロンドンの反逆児へ

マサチューセッツ州ローウェルに生まれたホイッスラーは、鉄道技師だった父の仕事の関係で少年期をロシアのサンクトペテルブルクで過ごしました。帰国後にウェストポイントの陸軍士官学校へ進みますが、化学の単位を落として退学。1855年、画家を志してパリへ渡り、シャルル・グレールのアトリエで学びながら、クールベの写実主義と、当時パリで流行し始めた日本の浮世絵に触れます。

1859年にロンドンへ移り、テムズ川沿いのチェルシーに居を構えました。着物や団扇を取り入れた作品や、川の夜景を薄い絵具で描いた《ノクターン》連作を発表します。1877年、《黒と金のノクターン:落下する花火》を批評家ジョン・ラスキンが「公衆の顔に絵具壺を投げつけた」と酷評すると、ホイッスラーは名誉毀損で提訴しました。1878年の法廷で「2日で描いた絵に200ギニーとは」と問われ、「生涯の知識に対する対価だ」と答えたやりとりは、芸術の値段をめぐる歴史的な問答として語り継がれています。

裁判には勝訴したものの、認められた賠償額はわずか1ファージング(4分の1ペニー)、訴訟費用の負担もあって翌1879年に破産しました。それでもヴェネツィアで制作したエッチング連作で再起し、肖像画と室内装飾、そして辛辣な批評文で世紀末の美術界に君臨し続けます。1903年、ロンドンで亡くなりました。

画風の特徴

絵具を油やテレピン油で薄く溶き、霧のかかった画面をつくる手法が特徴です。輪郭線をぼかし、色数を灰・黒・青緑といった近い調子に絞り込むことで、対象そのものより「色の響き合い」が主役になります。画面の隅に配された蝶の形のサイン(自身のイニシャルを図案化したもの)も彼の発明で、浮世絵の落款に学んだものでした。油彩と並んでエッチングとリトグラフの名手でもあり、数百点の版画を残しています。

代表作

  • 灰色と黒のアレンジメント第1番(画家の母の肖像)(1871年、パリ・オルセー美術館):横向きに座る母を抑制された色調で描いた代表作。1891年にフランス政府が購入し、リュクサンブール美術館に収められました。
  • 黒と金のノクターン:落下する花火(1875年頃、デトロイト美術館):夜空に散る花火を、ほとんど抽象画のような絵具の粒で描いた問題作。ラスキン裁判の発端となりました。
  • 白のシンフォニー第1番:白衣の少女(1862年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー):白い服の女性を白い背景に置いた実験作。1863年の落選展でマネらとともに話題を集めました。
  • ピーコック・ルーム(青と金のハーモニー)(1876-77年、ワシントンD.C.・フリーア美術館):孔雀の意匠で埋め尽くした室内装飾。移築保存された、歩いて入れる作品です。

同時代の作家との関係

パリ時代にはギュスターヴ・クールベの写実主義に傾倒し、その影響下で初期作を描きました。1863年の落選展ではエドゥアール・マネと並んで新しい絵画の旗手と見なされます。ファンタン=ラトゥールやドガとも交流がありました。ロンドンではラファエル前派のロセッティと隣人として親しく、若きオスカー・ワイルドとは機知の応酬で知られた友人でしたが、のちに決裂しています。批評家ラスキンとの対立は、こうした関係のなかでも最も有名なものです。

日本で見られるか

油彩の主要作品は国内にほとんどありませんが、国立西洋美術館がエッチングやリトグラフといった版画を所蔵しており、版画素描展示室で公開されることがあります。2014年には京都国立近代美術館と横浜美術館で大規模な「ホイッスラー展」が開かれ、油彩の代表作が来日しました。

見どころ

まず絵具の薄さを見てください。《ノクターン》は、下地のキャンバスの目が透けるほど薄い層を重ねて描かれており、絵の前に立つと物質としての絵具がほとんど消えています。次に画面のどこかにいる蝶のサインを探してみてください。署名でありながら構図の一部として置かれており、浮世絵の落款と同じ役割を果たしています。そして額縁——ホイッスラーは額まで自分で意匠を決めた画家です。

代表作ギャラリー

灰色と黒のアレンジメント第1番(母の肖像)
灰色と黒のアレンジメント第1番(母の肖像)1871年オルセー美術館
黒と金のノクターン――落下する花火
黒と金のノクターン――落下する花火1875年頃デトロイト美術館
白のシンフォニー第1番――白の少女
白のシンフォニー第1番――白の少女1862年ワシントン・ナショナル・ギャラリー
灰色と黒のアレンジメント-母の肖像
灰色と黒のアレンジメント-母の肖像1871年オルセー美術館
白のシンフォニー第1番 - 白の少女
白のシンフォニー第1番 - 白の少女1860年ナショナル・ギャラリー・オブ・アート
Nocturne in Black and Gold – The Falling Rocket
Nocturne in Black and Gold – The Falling Rocket1875年デトロイト美術館
白のシンフォニー第2番:小さな白の少女
白のシンフォニー第2番:小さな白の少女1864年テート・ギャラリー
Nocturne: Blue and Silver – Chelsea
Nocturne: Blue and Silver – Chelsea1871年テイト・ブリテン

作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)