洛中洛外図屏風 舟木本:岩佐又兵衛が描いた、約2500人の京都
- 作者
- 岩佐又兵衛
- 制作年
- 元和初年(1615年)頃
- 所蔵
- 東京国立博物館
- 所在地
- 東京都台東区
- 指定
- 国宝
元和初年頃の京都を六曲一双に描いた国宝。方広寺大仏殿と二条城を左右の端に対置し、およそ2500人もの人物が生き生きと動きます。東京国立博物館が所蔵し、公開は数年に一度という限られた機会のみです。
洛中洛外図屏風 舟木本は、江戸時代初期の京都の市中と郊外を描いた六曲一双の屏風です。金地の画面に約2500人もの人々が描き込まれ、その一人ひとりが表情豊かに動いています。岩佐又兵衛の作とされ、国宝に指定されて東京国立博物館が所蔵しています。
洛中洛外図屏風 舟木本とは
紙本金地著色の六曲一双で、各隻の寸法は162.7×342.4センチ。制作は元和初年(1615年)頃とされます。滋賀の舟木家に伝わったことから「舟木本」と呼ばれ、2016年8月17日に国宝へ指定されました。指定名称は「紙本金地著色洛中洛外図」です。
洛中洛外図は室町時代以来つくられてきた画題ですが、本作は従来の形式から大きく踏み出しています。複数の視点を並列させるのではなく、ひとつの視点から連続する景観として両隻を展開させ、鴨川の流れが左右の画面をつなぎます。右端には豊臣氏の象徴である方広寺大仏殿を、左端には徳川氏の二条城を配し、時代の転換点を画面の両極に据えました。
金の雲は場面を仕切る装置として使われますが、本作では雲の切れ間から通りが連続して見通せるよう配置され、都市がひと続きの空間として感じられます。四条河原の芝居小屋、橋を渡る人の列、祭礼の行列。名所を並べるだけでなく、そこで何が起きているかが描かれている点が、それまでの洛中洛外図との大きな違いです。
どこで見られる?
- 所蔵先:東京国立博物館(東京都台東区上野公園)が所蔵しています。
- 公開状況:常設展示ではありません。国宝の屏風は保存のため展示日数が限られ、本作が公開されるのは数年に一度という頻度です。2016年4月19日〜5月8日に東京国立博物館 本館8室・11室で特集「平成28年 新指定 国宝・重要文化財」として展示された(国宝指定は同年8月17日、展示より後)。
- 複製・映像での鑑賞:高精細のデジタルアーカイブや複製屏風が制作されており、VR作品として上演されたこともあります。実物が非公開の時期にも細部をたどる手立てがあります。
- 所在地:東京都台東区上野公園、JR上野駅から徒歩約10分です。
公開時期は所蔵館の公式サイトで確認してください。
見どころ3選
- 約2500人の群像:喧嘩する男たち、踊る人々、物売り、見物客。名もない人々の身振りが一人ひとり描き分けられ、近づいて見るほど発見があります。
- 大仏殿と二条城の対置:右端の方広寺大仏殿は豊臣、左端の二条城は徳川を象徴します。両者を画面の両端に据えた構成は、政権が移り変わる時代そのものを図像にしたものと読まれています。
- 又兵衛らしい人物表現:長い顔に豊かな頬という独特の人物様式が随所に見られます。無署名のため作者は長く論争の的でしたが、この様式が又兵衛と結びつける有力な手がかりとなりました。
描かれた背景
岩佐又兵衛は、織田信長に叛いた武将・荒木村重の子として生まれたと伝えられます。一族が滅ぼされるなかで生き延び、絵師として身を立てました。数奇な出自を持つこの画家が、豊臣と徳川が入れ替わる瞬間の京都を描いたことになります。
元和初年は大坂の陣の直後にあたり、豊臣家が滅んで徳川の世が定まった時期です。画面に描かれた方広寺は、鐘銘事件をきっかけに大坂の陣を招いた寺でもありました。つまりこの屏風は、単なる都市風景ではなく、消えゆく時代と始まる時代を同じ画面に閉じ込めた記録でもあります。祭礼や芸能、遊里の賑わいまで克明に描かれ、当時の風俗を知る第一級の資料としても扱われています。
本作は無署名で、長らく作者が特定されないままでした。人物の描き方や画面構成の特徴をもとに研究が積み重ねられ、岩佐又兵衛の作とする見方が定着したことが、2016年の国宝指定へとつながっています。滋賀の舟木家に伝わったという来歴が明確であることも、作品の位置づけを支えてきました。名もない人々の姿を主役に押し上げた本作は、のちの風俗画の広がりを準備した作品でもあります。
まとめ
洛中洛外図屏風 舟木本は、都市を描くという行為が歴史の証言にまで達した作品です。公開の機会は数年に一度と限られますので、東京国立博物館の展示予定を確認しておき、機会があれば時間をかけて細部まで見てください。