岩佐又兵衛:落城を生き延びた「浮世絵の祖」、濃密な物語絵巻を残した流転の絵師
伊丹城落城で一族を失い、乳飲み子として救い出された岩佐又兵衛。豊頬長頤の個性的な人物表現と濃密な物語絵巻で「浮世絵の祖」とも呼ばれる、奇想の系譜の始祖の数奇な生涯。
岩佐又兵衛(1578-1650)は、江戸時代初期の絵師です。名は勝以(かつもち)。ふっくらとした頬に長い顎という独特の人物表現「豊頬長頤(ほうきょうちょうい)」と、濃密な物語絵巻で知られます。
生涯:落城を生き延び、京・福井・江戸へ
父は織田信長に反旗を翻した武将・荒木村重と伝えられます。天正7年(1579)の有岡城(現在の兵庫県伊丹市)落城で一族の多くが処刑される中、乳飲み子だった又兵衛は乳母に救い出されて助かったとされ、母方の岩佐姓を名乗りました。
成長して京都で絵を学びます。狩野派の様式を基礎に、土佐派の伝統的な大和絵の技法も取り込みました。元和2年(1616)頃、越前福井藩主・松平忠直に招かれて北ノ庄(福井)へ移り、以後およそ20年にわたって工房を構え、大規模な物語絵巻を次々に手がけます。寛永14年(1637)頃に江戸へ移り、慶安3年(1650)、江戸で没しました。
画風の特徴
人物の顔は類型的でありながら、目線や口元の描き分けで感情が読み取れます。特徴的なのは、物語の残酷な場面から目をそらさないことです。斬られた首や流れる血を鮮やかな朱で描き、悲劇を美しい絵巻の様式のまま提示します。金銀を用いた濃彩と、細部を埋め尽くす密度も特徴です。
工房を率いた絵師でもあり、大部の絵巻は弟子との分業で制作されました。そのため同じ絵巻の中でも筆の冴えに差があり、どこを又兵衛本人が描いたのかは今も研究の主題です。金泥や群青など高価な顔料をふんだんに使える注文主がついていたことも、作品の豪華さを支えました。
代表作
- 洛中洛外図屏風(舟木本)(東京国立博物館/国宝):慶長19年(1614)から翌年頃の京都を、約2,500人の人物で埋めた六曲一双。伝岩佐又兵衛筆とされます。遊里や芝居小屋の描写が特に濃密です。
- 山中常盤物語絵巻(MOA美術館/重要文化財):牛若丸の母・常盤御前が山中で殺され、その仇を討つまでを全12巻で描いた長大な絵巻です。
- 豊国祭礼図屏風(徳川美術館/重要文化財):豊国神社の臨時祭礼に踊り狂う群衆を描いた屏風です。
- 浄瑠璃物語絵巻(MOA美術館/重要文化財):牛若丸と浄瑠璃姫の物語を金銀を多用した濃彩で描いた絵巻です。
同時代の画家との関係
狩野派の絵師に学んだと伝わりますが、誰に師事したかは確定していません。狩野派の筆法と土佐派の大和絵を併せ持ちながら、どちらの流派にも収まらない位置に立ちました。美術史家・辻惟雄は『奇想の系譜』で又兵衛を筆頭に置き、のちの伊藤若冲や曾我蕭白へ連なる系譜の出発点として位置づけています。庶民の風俗を主題にした点から「浮世絵の祖」と呼ばれることもありますが、これは後世の評価です。
日本で見られるか
作品はほぼすべて国内にあります。東京国立博物館(洛中洛外図屏風・舟木本)、熱海のMOA美術館(山中常盤物語絵巻、浄瑠璃物語絵巻)、名古屋の徳川美術館(豊国祭礼図屏風)、又兵衛が20年を過ごした福井県立美術館が主な所蔵先です。いずれも絵巻・屏風のため通年展示ではなく、公開時期の確認をおすすめします。
見どころ
絵巻はぜひ端から順に目で追ってください。同じ人物が場面ごとに何度も現れ、物語が進みます。屏風では逆に、全体を眺めたあと一区画ずつ拡大して見てください。舟木本では、喧嘩、物売り、見物人といった小さな出来事が数十か所で同時に起きています。人物の顎の長さと頬のふくらみは、又兵衛工房の作かどうかを見分ける手がかりにもなります。
代表作ギャラリー








作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)