ルネ・マグリット:「これはパイプではない」と問いかけた、シュルレアリスムの静かな哲学者
山高帽の紳士然とした日常を送りながら、イメージと言葉のパラドックスを描き続けたマグリット。「イメージの裏切り」で20世紀美術と哲学に衝撃を与えたベルギー・シュルレアリスムの中心人物。
ルネ・マグリット(1898-1967)は、ベルギー・シュルレアリスムを代表する画家です。パイプ、山高帽の男、りんご、雲。ごくありふれたモチーフを、ありえない大きさや場所に置き換えることで、見る者に「見ることの不確かさ」を突きつけました。奇抜な私生活で知られた同時代の画家たちとは対照的に、日中はきちんとしたスーツを着て、自宅の食堂で規則正しく制作する人物でした。
生涯:静かな日常の裏にあった波乱
1898年、ベルギーのエノー州レシーヌに生まれました。十代で母を亡くし、その後ブリュッセルの王立美術アカデミーで学びます。長く壁紙工場の図案家や広告デザイナーとして働いており、この経験が、平明で読み取りやすい描き方と、一目で伝わる図像の作り方につながりました。
1922年、ジョルジェット・ベルジェと結婚。同じ年にジョルジョ・デ・キリコの作品の複製を見て決定的な衝撃を受け、思考そのものを絵にできると確信します。1926年に最初のシュルレアリスム的作品を制作し、翌年からパリ近郊に移ってアンドレ・ブルトンらと交流しました。
1930年にブリュッセルへ戻り、以後は生涯この地で暮らします。第二次大戦中には印象派風の明るい画風を試みた時期があり、1948年には粗く投げやりな筆致の作品群を発表するなど、時に自らの様式を裏切ってみせました。戦後の生活苦の時期に、他の画家の作品を模した絵を制作していたことも後年伝えられています。1967年、癌のためブリュッセルで没しました。68歳でした。
画風の特徴
マグリットの絵は、技法としては驚くほど平凡です。筆跡を消し、輪郭をはっきり描く、看板や挿絵のような描き方。そこが重要で、「うまい絵」で驚かせないからこそ、描かれている事態の異常さが際立ちます。彼が繰り返し使った操作は数えられるほどしかありません。大きさを狂わせる、二つの時間を重ねる、物で顔を隠す、言葉と絵をずらす、内と外を入れ替える。この限られた手数を組み合わせて、生涯にわたり同じ問いを問い続けました。夢の混沌を描いたダリらとは違い、マグリットの画面は徹底して覚醒しています。
代表作
- イメージの裏切り(これはパイプではない)(1929年、ロサンゼルス・カウンティ美術館):パイプの絵に否定の一文を添えた作品。哲学者ミシェル・フーコーが同名の評論を著しました。
- 光の帝国(ベルギー王立美術館、ニューヨーク近代美術館ほか):昼の空と夜の街路が同一画面に同居する主題で、油彩とグワッシュで多数のバリエーションが制作されました。単一の「原画」は存在しません。
- ゴルコンダ(1953年、メニル・コレクション、ヒューストン):山高帽の男たちが雨のように空に浮かぶ、最も有名な図像の一つです。
- 大家族(1963年、宇都宮美術館):荒れた海の上、鳥の形に空が抜けている作品。日本にあるマグリットの代表作です。
- 人の子(1964年、個人蔵):山高帽の男の顔を緑のりんごが隠す自画像的作品。目にするものはすべて別の何かを隠している、という彼の考えを図にしています。
同時代の画家との関係
最大の出発点はジョルジョ・デ・キリコで、その形而上絵画の静けさと不穏さがマグリットの生涯の土台になりました。パリ時代にはアンドレ・ブルトンを中心とするシュルレアリスムの運動に加わりますが、集団的な理論よりも個人の思考を優先し、やがて距離を置いています。同じベルギーのポール・デルヴォーとは並び称される存在で、デルヴォーが夢幻的な情景を描いたのに対し、マグリットは論理の罠を仕掛ける方向へ進みました。後年、アンディ・ウォーホルやジャスパー・ジョーンズら、イメージそのものを主題にする世代に大きな影響を与えています。
日本で見られるか
マグリットは、日本で油彩の代表作に出会える数少ないシュルレアリストです。宇都宮美術館は《大家族》(1963年)と《夢》(1945年)を所蔵し、横浜美術館は《王様の美術館》を、東京富士美術館は《観念》(1966年)と《再開》(1965年)を持っています。ほかに豊田市美術館、富山県美術館などにも収蔵があり、常設展で不意に出会える機会は少なくありません。
見どころ
マグリットの前では、まずタイトルを確かめてください。彼の作品名は内容の説明ではなく、絵と衝突するように選ばれています。絵とタイトルのあいだの摩擦こそが作品の一部です。次に、絵の描き方そのものを見てください。筆跡がほとんど残されておらず、誰が描いたかわからないほど無個性であることに気づくはずです。最後に、画面の中で「隠れているもの」を探してください。りんごの背後の顔、鳥の形に抜けた空の向こう。マグリットの絵は、見えないものの存在をいつも意識させます。

