杉本博司:時間そのものを露光する写真家
水平線だけを撮り続けた「海景」、劇場のスクリーンを映画一本分露光した「劇場」。杉本博司は写真で「時間」を可視化してきました。直島の護王神社から小田原の江之浦測候所まで、建築家としての顔も持つ稀有な作家です。
杉本博司(1948-)は、写真・彫刻・建築・造園と領域を横断する現代美術の作家です。銀塩写真という古典的な技法にこだわり続けながら、「時間」という目に見えないものを画面に定着させてきました。
経歴
1948年、東京の御徒町に生まれました。実家は銀座の化粧品店で、少年期から古美術に親しんだといいます。立教大学経済学部を卒業後、1970年に渡米し、ロサンゼルスのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインで写真を学びました。1974年からニューヨークを拠点とし、当初は日本の古美術を扱うディーラーとして生計を立てながら制作を続けています。
この「古美術商としての目」が、のちの作品世界を決定づけました。杉本にとって写真は最新のメディアではなく、19世紀から続く長い歴史の一部なのです。
作風と手法
杉本の方法は徹底しています。大判カメラを使い、フィルムからプリントまで自ら手を動かす。そのうえで、一枚の写真に途方もない時間を閉じ込めます。
代表作「劇場」シリーズでは、映画館の客席にカメラを据え、上映開始から終了までシャッターを開けっぱなしにします。すると映画一本分の光が積み重なり、スクリーンは真っ白に飛ぶ。二時間という時間が、白い矩形として写るのです。
「海景」シリーズは、世界各地の海を、水平線を画面のちょうど中央に置いて撮り続けたものです。空と海だけ。人工物は一切写り込みません。数百万年前の人類が見た海も、これと同じだったはずだ――そういう問いから始まった連作です。
主な作品
- 「海景(Seascapes)」(1980年-):ベネッセハウス ミュージアム(香川県直島)の屋外テラスに、瀬戸内海を望む形で《タイム・エクスポーズド》が設置されています。
- 「護王神社 Appropriate Proportion」(2002年):直島・本村地区の家プロジェクトの一つ。江戸期から続く神社の改修を手がけ、ガラスの階段で地上の社殿と地下の石室をつなぎました。
- 「劇場」シリーズ(1978年-):東京都写真美術館などが所蔵しています。
- 江之浦測候所(2017年開館):神奈川県小田原市。約20年をかけて構想された、杉本の集大成というべき場所です。
- MOA美術館 館内リニューアル(2017年):杉本が榊田倫之と設立した設計事務所「新素材研究所」が手がけました。
国際的な評価
2001年にハッセルブラッド国際写真賞、2009年に高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)を受賞。2010年に紫綬褒章、2013年にフランス芸術文化勲章オフィシエを受章し、2017年には文化功労者に選ばれました。2023年に日本芸術院会員となっています。写真家としてこれほどの評価を国内外で同時に得た日本人は、ほかにあまり例がありません。
日本で見られる場所
小田原文化財団 江之浦測候所(神奈川県小田原市)は必見です。相模湾を見下ろす広大な敷地に、夏至の朝日が差し込む長さ100メートルのギャラリー、冬至の日の出に向けたトンネル、能舞台、茶室などが配されています。全体が一つの巨大な作品で、完全予約制です。
直島では三つの場所で杉本作品に会えます。家プロジェクトの護王神社、ベネッセハウス ミュージアム屋外の「海景」、そして2022年にベネッセハウス パーク内に開館した杉本博司ギャラリー 時の回廊です。ここでは「海景」や「劇場」の大型作品に加え、杉本が設計した茶室や庭を体験できます。
MOA美術館(静岡県熱海市)では、リニューアルされた展示空間そのものが杉本の仕事です。東京都写真美術館、東京国立近代美術館、金沢21世紀美術館なども作品を所蔵しています。
見どころ
杉本の作品は、写真集で見るのと実物を見るのとで印象がまるで違います。とくに「海景」は、プリントの表面に浮かぶ微細な諧調が命で、これは印刷では再現できません。直島や江之浦で、本物の海を見たあとに作品を見る――その順番で体験すると、彼が何を撮ろうとしているのかが腑に落ちるはずです。