鈴木春信:多色摺の「錦絵」を生んだ立役者、夢見るような男女を描いた叙情の絵師
1765年、絵暦の交換会をきっかけに多色摺木版画「錦絵」を誕生させた鈴木春信。華奢で夢見るような男女の姿と詩情あふれる画面で、浮世絵の歴史を塗り替えた叙情の絵師の生涯。
はじめに:浮世絵をフルカラーにした男
鈴木春信(1725頃-1770)は、江戸中期の浮世絵師です。それまで墨一色や少ない色数で摺られていた浮世絵を、何枚もの版木を重ねる本格的な多色摺へと進化させた「錦絵(にしきえ)」誕生の立役者として、浮世絵史に不滅の名を残しています。錦のように美しいことから名づけられた錦絵の登場によって、浮世絵は世界に誇るカラー印刷芸術へと飛躍しました。
生涯:絵暦ブームが生んだ技術革新
春信の前半生については、ほとんど分かっていません。生年も1725年頃と推定されるにとどまり、出身も修業の経緯もはっきりしていません。初期には京都の絵師・西川祐信の影響を受けた細身の人物像を描いており、上方の絵の様式を江戸に持ち込んだ画家と見られています。
転機は明和2年(1765年)に訪れます。江戸の裕福な趣味人たちのあいだで、その年の暦の大小(月の日数)を絵のなかに隠し込んだ「絵暦(えごよみ)」を交換し合う会が大流行しました。彼らは費用を惜しまず、豪華な多色摺を競い合います。この交換会に、1600石取りの旗本・大久保巨川らの誘いで加わったのが春信でした。
採算を度外視できる私的な注文だったからこそ、版木を何枚も重ね、絵具を厚く摺り込む高度な技術が一気に開発されました。この技術がやがて商品として売り出され、錦絵となります。春信はその中心にいた絵師でした。
春信はまた、谷中の水茶屋の看板娘・笠森お仙を繰り返し描き、実在の町娘を人気者に押し上げたことでも知られます。錦絵誕生からわずか5年後の明和7年(1770年)、人気の絶頂のうちに世を去りました。
画風の特徴:現実にいない人を描く
春信の人物は、驚くほど華奢です。首は細く、手足は小さく、男女の描き分けもほとんどありません。実在の人間を写すのではなく、和歌や物語の世界から抜け出てきたような、中性的で夢のような存在として描かれます。
もう一つの核心が「見立て」という手法です。中国や日本の古典的な画題を、当世の江戸の日常に置き換えて描く。教養がある者ほど深く楽しめる、知的な遊びでした。色づかいも独特で、紅・萌黄・薄紫といった中間色を重ね、輪郭線を目立たせません。背景には墨を摺らない「空摺(からずり)」で文様を浮き出させるなど、絵暦時代に磨かれた贅沢な技法がふんだんに使われています。
代表作
- 雪中相合傘:降りしきる雪のなか、一本の傘に寄り添う男女。白い雪と黒い傘のコントラストのなかに、恋の甘さと切なさが香り立ちます。春信の叙情性がもっとも純粋に出た一点です。
- 座敷八景:中国の伝統画題「瀟湘八景」を、江戸の座敷の日常に置き換えた見立ての連作。琴の柱を雁の列に、手ぬぐいかけを帆に見立てるなど、日用品に古典の詩情を重ねる遊びが光ります。画中に「巨川工」の署名があり、着想が大久保巨川によるものであることを示しています。
- 笠森お仙を描いた作品群:谷中笠森稲荷門前の水茶屋・鍵屋の看板娘お仙を描いたシリーズ。実在の町娘をアイドルのように描く手法は、後の美人画ブームの先駆けとなりました。
- 『絵本青楼美人合』(1770年):吉原の遊女たちを描いた多色摺の絵本。版本の形で錦絵の技術を用いた、春信最晩年の大がかりな仕事です。
同時代の絵師との関係
春信が様式の面で最も影響を受けたのは、京都の絵師・西川祐信です。一方、錦絵の誕生は春信一人の手柄ではなく、大久保巨川ら注文主の趣味人、そして名を残していない優れた彫師・摺師との共同作業でした。春信の死後、その様式は磯田湖龍斎らに受け継がれ、やがて鳥居清長、喜多川歌麿へと美人画の系譜がつながっていきます。北斎や広重の風景版画も、春信が切り開いた多色摺の技術の上に成り立っています。
日本で見られるか
春信の作品を所蔵する日本の美術館は複数あります。東京国立博物館、千葉市美術館、太田記念美術館(東京・原宿)、日本浮世絵博物館(長野県松本市)などが代表的で、企画展でまとまって公開されることがあります。ただし錦絵は光に弱く退色しやすいため、常設で出ていることは少なく、展示期間も短めです。訪ねる前に展示情報を確認するのが確実です。なお春信の優品は明治以降に多く海外へ流出しており、ボストン美術館やシカゴ美術館なども重要な作品を所蔵しています。
見どころ
春信の錦絵の前では、色ではなく「摺りの跡」を探してください。人物の着物の白地に、光の角度によって文様が浮かんで見えることがあります。これが絵具を使わずに凹凸だけで文様を出す空摺です。また、色と色の境目に輪郭線がほとんどないことにも注目を。版がわずかにずれれば台無しになる、極めて高度な摺りが要求されています。そして画面のどこかに古典の匂わせが隠れていないか探してみてください。それが春信の絵の、いちばんの楽しみ方です。
代表作ギャラリー







作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)

