マリーナ・アブラモヴィッチ:身体を使い切る表現者

画家

自分の身体だけを素材に、限界まで行くことを半世紀続けてきた作家です。新潟県松之山には、築100年の古民家を改装した《夢の家》が常設され、色のついた寝床で一夜を過ごして夢を書き残すという、宿泊できる作品になっています。

マリーナ・アブラモヴィッチ(1946-)は、自分の身体そのものを素材とするパフォーマンス・アートの作家です。セルビア出身で、痛み、疲労、恐怖、沈黙といった、通常なら避けたい状態にあえて身を置くことで、人間の限界を試し続けてきました。

経歴

1946年、当時のユーゴスラビア・ベオグラードに生まれました。両親はともにパルチザン出身の軍人で、規律の厳しい家庭に育っています。ベオグラードの美術アカデミーで学び、1970年代初めからパフォーマンス作品を発表し始めました。

1976年からはドイツの作家ウライと組み、12年にわたって二人組で活動します。二人の関係は1988年、万里の長城の両端から歩き出して中央で出会い、そこで別れるという作品で幕を閉じました。以後は単独で活動を続けています。

作風と手法

初期の作品は苛烈です。観客に72の道具を渡し、自分に何をしてもよいと告げた《リズム0》では、最終的に銃を突きつける者まで現れました。裸で向かい合って立つ二人の狭い隙間を、観客が身体をこすりながら通り抜ける作品もあります。

近年の作品はより静かになりました。しかし「その場に居続ける」ことの過酷さは変わりません。彼女の作品は記録写真では半分も伝わらず、同じ空間に居合わせた人だけが受け取れるものとして作られています。

代表作

  • リズム0(1974年)ー ナポリで6時間、観客のなすがままになったパフォーマンス。
  • バルカン・バロック(1997年)ー ヴェネチア・ビエンナーレで発表。血の残る牛の骨を洗い続けた作品で、金獅子賞を受賞しました。
  • ラヴァーズ ー 万里の長城を歩く(1988年)ー ウライとの共同作品にして決別。
  • アーティスト・イズ・プレゼント(2010年)ー ニューヨーク近代美術館で3か月間、開館中ずっと椅子に座り、向かいに座る観客と無言で見つめ合い続けました。
  • 夢の家(2000年)ー 新潟県十日町市松之山に常設。

国際的な評価

1997年のヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞を受けました。2010年のニューヨーク近代美術館での回顧展は、パフォーマンス・アートを美術館の主役に押し上げた出来事として記憶されています。2023年にはロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで大規模な個展が開かれ、2025年には日本の高松宮殿下記念世界文化賞(彫刻部門)を受賞しました。

日本で見られる場所

日本には、宿泊できる常設作品があります。新潟県十日町市松之山の《夢の家》です。2000年の第1回「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」のために、築100年を超える古民家を改装して作られました。

宿泊者はまず薬草を入れた湯で身を清め、赤・青・緑・紫のいずれかの部屋と同じ色の「夢を見るためのスーツ」に着替えます。寝床は棺のような箱で、枕は黒曜石。朝になったら、見た夢を備え付けの「夢の本」に書き残します。2000年から積み重ねられたその記録は、後に書籍としてまとめられました。2011年の長野県北部地震で被害を受けましたが、修復を経て2012年から再開しています。

これ以外に国内で常設のアブラモヴィッチ作品はほとんどなく、パフォーマンス作品の性質上、来日公演の機会を待つことになります。

見どころ

《夢の家》の面白さは、作品を「見る」のではなく、作品の一部として一晩を過ごす点にあります。棺で眠るという設定は多少身構えますが、実際に体験した人が書き残していくのは、たいてい他愛のない夢です。その他愛のなさが何十冊も積み上がっていることこそ、この作品の到達点かもしれません。