アニッシュ・カプーア:穴と鏡で空間をゆがめる彫刻家

画家

覗き込むと底が見えない黒い穴、街並みを丸ごと映し込む巨大な鏡。カプーアは彫刻を「置かれた物」ではなく「空間の穴」として扱ってきました。金沢21世紀美術館には、光を吸い込む暗闇の作品が恒久展示されています。

アニッシュ・カプーア(1954-)は、空虚と反射を主題とするイギリスの彫刻家です。作品は物質としてそこにあるのに、見ている人には「何もない場所」や「果てのない奥行き」として感じられます。物ではなく、物が作り出す知覚のずれを彫刻しているような作家です。

経歴

1954年、インドのボンベイ(現ムンバイ)に生まれました。父はインド人、母はイラク系ユダヤ人という家庭で育っています。1970年代前半にイギリスへ渡り、ロンドンのホーンジー美術学校とチェルシー美術学校で学びました。以後、ロンドンを拠点に活動しています。

1979年にインドへ戻った旅が転機になりました。寺院で供物として盛られた色の粉に強い印象を受け、帰国後、鮮やかな顔料をまとった立体の連作を発表します。作品が床にも壁にも顔料をこぼしながら置かれるその形式は、彫刻の輪郭を曖昧にするものでした。

作風と手法

カプーアの作品は大きく二つの方向に分かれます。ひとつは、深い凹みや暗い穴として現れるもの。壁や床に開いた黒い面は、極端に光を吸収する顔料で処理されており、目測が効きません。奥行きがあるのか、平らな円が描かれているだけなのか、近づいても判断がつかないのです。

もうひとつは、鏡面に磨いたステンレスの巨大な曲面です。周囲の風景と見る人を歪めて映し込み、彫刻そのものは景色に溶けて消えていきます。どちらの方向も、「見えない」「つかめない」という感覚を作ることに向けられています。

代表作

  • クラウド・ゲート(2004-2006年)ー アメリカ・シカゴのミレニアム・パーク。豆のような形の巨大な鏡面彫刻で、街のシンボルになっています。
  • マルシュアス(2002年)ー ロンドンのテート・モダン、タービンホールを端から端まで貫いた赤い膜の大作。
  • リヴァイアサン(2011年)ー パリのグラン・パレを埋めた巨大な膜状の作品。内部に入ることができました。
  • アルセロールミッタル・オービット(2012年)ー ロンドンのオリンピック公園に立つ塔。建築家セシル・バルモンドとの共作です。
  • ロリジン・デュ・モンド(世界の起源)(2004年)ー 金沢21世紀美術館の恒久展示作品です。

国際的な評価

1990年のヴェネチア・ビエンナーレでイギリス代表を務め、若手作家に贈られる賞を受けました。翌1991年にはターナー賞を受賞しています。以後、テート・モダン、パリのグラン・パレ、ロンドンのロイヤル・アカデミーなど、主要な会場で大規模な個展を重ねてきました。極端に光を吸収する黒色材料の美術利用権を独占的に得たことでも議論を呼んでいます。

日本で見られる場所

常設で見られるのは金沢21世紀美術館の《ロリジン・デュ・モンド(世界の起源)》です。展示室の壁に開いた楕円の暗闇を前にすると、それが深い穴なのか、黒く塗られた平面なのかが分からなくなります。恒久展示作品ですが、公開の有無や場所は時期により変わることがあるため、事前に確認するのが確実です。

このほか、ポーラ美術館(神奈川県箱根町)や福岡の美術館がカプーアの作品を収蔵しており、コレクション展で公開されることがあります。2018年には大分県別府市で大規模な屋外展示「アニッシュ・カプーア IN 別府」が行われました。

常設の点数は多くありませんが、金沢の一点は彼の代表的な方向をそのまま体験できる作品です。

見どころ

暗闇の作品の前では、少しずつ角度を変えて歩いてみてください。普通の穴なら、動けば内側の壁が見えるはずです。ところがこの作品では、どの角度から見ても同じ黒さが返ってきます。目が手がかりを失う数秒間。それがカプーアの彫刻の本体です。