恩地孝四郎:日本の抽象芸術のパイオニア、木版に「心の形」を刻んだ創作版画の父

恩地孝四郎:日本の抽象芸術のパイオニア、木版に「心の形」を刻んだ創作版画の父

画家

大正3年、詩と版画の同人誌『月映』で日本最初期の抽象木版画を生んだ恩地孝四郎。「自画・自刻・自摺」の創作版画運動を率い、装丁の名手としても本の美を革新しました。

はじめに:形のない心を、版木に刻む

恩地孝四郎(1891-1955)は、大正・昭和の版画家・装丁家です。竹久夢二に憧れて美術の道へ進み、1914年、友人の田中恭吉らと詩画同人誌『月映(つくはえ)』を創刊。悲しみや歓びといった感情そのものを形にした「抒情」シリーズの木版画は、カンディンスキーとほぼ同時代の、日本最初期の抽象芸術でした。

生涯:『月映』の青春から、抽象の完成へ

恩地は東京に生まれました。父は宮内省に勤める官吏で、恵まれた家庭環境で育っています。東京美術学校に入学して西洋画科と彫刻科を行き来しますが、卒業はせず中退。この頃、竹久夢二のもとに出入りし、装飾と抒情への感度を養いました。

1914年、恩地は同世代の田中恭吉藤森静雄とともに詩と版画の同人誌『月映』を創刊します。三人が木版と詩を持ち寄る、わずか数十部の手作りの雑誌でした。この誌上で恩地が発表した「抒情」シリーズは、具体的な何かを描かず、色面と曲線だけで心の状態を表す作品群。カンディンスキーが抽象へ踏み出したのとほぼ同時期に、日本の20代の青年が同じ地平に到達していたことになります。

しかし『月映』は長く続きませんでした。結核を患っていた田中恭吉が1915年に23歳で世を去り、雑誌は公刊7号で終刊します。恩地にとって、この喪失は生涯の底に残りました。

以後は日本創作版画協会(1918年)、日本版画協会(1931年)の設立に加わり、創作版画運動の理論的支柱として活動。同時に装丁家として、また詩人・随筆家としても旺盛に働きました。戦時中の文学者・音楽家の肖像シリーズを経て、戦後は「Poem」シリーズで抽象表現をさらに深化させ、1955年に63歳で没しています。

画風の特徴:木という素材で、感情を組み立てる

恩地の抽象は、幾何学的な冷たさとは無縁です。彼が用いたのは、木目、彫り跡、絵具の滲み、摺りムラ——木版という素材が自ずと持つ手触りでした。晩年には版木だけでなく、糸、木の葉、板切れ、金網といった身近な物を版として直接インクを載せる手法も使い、素材そのものの表情を画面に取り込んでいます。

色は多くの場合、限られた数の色面が重ねられます。青と黒、朱と灰といった対比の中に、微妙な階調が生まれる。「抒情」「あかるい時」「海の詩情」といった題名と、目の前の抽象的な形を往復させる——恩地の作品は、この読み解きの往復運動そのものを鑑賞体験として設計しています。写真やフォトグラム、コラージュにも早くから取り組み、版とイメージの関係を問い続けました。

代表作

  • 「抒情『あかるい時』」(1915年)——『月映』期の代表作。具体的な形を描かず、色面と曲線だけで心の状態を表した、日本の抽象芸術の先駆けです。
  • 『月映』(1914-15年/全7号)——恩地・田中恭吉・藤森静雄による詩画同人誌。日本近代版画史の出発点とされ、東京国立近代美術館や和歌山県立近代美術館が回顧展を開いてきました。
  • 萩原朔太郎『月に吠える』(1917年)の装丁と挿画——恩地と、前年に世を去った田中恭吉の版画が挿まれた詩集。日本のブックデザイン史における記念碑です。
  • 「Poem」シリーズ(戦後)——「Poem No.〜」と番号を振られた戦後の抽象版画群。素材の質感を活かした恩地芸術の到達点です。
  • 「『氷島』の著者(萩原朔太郎像)」(1943年)——20年来の友であった詩人の死の翌年に刻んだ肖像。抽象作家として知られる恩地の、もう一つの顔を示す代表作です。
  • 同時代の画家たちとの関係

    出発点にあるのが竹久夢二への憧れ、そして『月映』の盟友田中恭吉藤森静雄です。恩地が牽引した創作版画運動——浮世絵のような絵師・彫師・摺師の分業ではなく、作家自身が描き・彫り・摺る「自画・自刻・自摺」の思想——は、山本鼎が提唱し、恩地が理論と実作で支えました。この運動から棟方志功川上澄生平塚運一らが育っています。同じ大正期の版画復興でも、絵師と職人の分業を近代的に再構築した川瀬巴水橋口五葉の新版画とは、思想が正反対でした。戦後、恩地の抽象木版は駐留した米国人コレクターを通じて海外にも知られ、日本の版画が国際展で高く評価される道を開きます。

    日本で見られるか

    恩地は日本国内で見るべき作家です。東京国立近代美術館が屈指のコレクションを持ち、2016年の大回顧展をはじめ繰り返し特集展示を行っています。和歌山県立近代美術館は『月映』の同人・田中恭吉の郷里であることから『月映』関連の資料と作品を厚く収蔵し、こちらも大規模な回顧展を開催してきました。ほかに町田市立国際版画美術館千葉市美術館などが所蔵。装丁の仕事は日本近代文学館などで書物として見ることができます。

    見どころ

    実物の前では、まずタイトルと形を往復してください。「あかるい時」「かなしみ」——題名の感情と、目の前の色と形を照らし合わせると、抽象が「わかる」入口が開きます。次に木目と彫り跡を探すこと。抽象であっても、木版ならではの温かい質感が必ず残っています。機械的な抽象との手触りの違いは、実物でしか確かめられません。そして。恩地は和紙の種類と摺りの強さに神経を注ぎました。斜めから見ると、絵具が紙に沈んだ部分と乗っている部分の差が見えてきます。

代表作ギャラリー

『氷島』の著者(萩原朔太郎像)
『氷島』の著者(萩原朔太郎像)1943年

作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)