アントワーヌ・ワトー:宴の輝きに漂う寂しさ、ロココを開いた「雅宴画」の詩人
貴族たちが庭園で恋を語らう「雅宴画」という新ジャンルを生み、ロココ美術の扉を開いたワトー。華やかな宴の絵の奥に漂う一抹の寂しさが、300年後の私たちの心も捉えます。
はじめに:ロココはこの人から始まった
アントワーヌ・ワトー(1684-1721)は、18世紀フランスのロココ美術を切り開いた画家です。ルイ14世の荘重なバロックの時代が終わりに近づく頃、ワトーは貴族たちが庭園に集い、音楽と恋の駆け引きに興じる情景を描く「雅宴画(フェート・ギャラント)」という新しいジャンルを確立しました。王立絵画彫刻アカデミーは、既存のどの部門にも収まらない彼のために、わざわざこの新しい呼び名を用意して迎え入れています。
生涯:フランドル国境の町から、36年の駆け足
ワトーは1684年、フランス北端のヴァランシエンヌに屋根職人の子として生まれました。この町がフランス領となったのは、彼の生まれるわずか6年前のこと。フランドルの絵画的伝統が色濃く残る土地で育ったことは、後年の彼の色づかいに影響したといわれます。
18歳頃にパリへ出て、まず舞台装飾家クロード・ジロのもとで働きました。ジロはイタリア喜劇(コメディア・デラルテ)の場面を得意としており、ワトーの絵に繰り返し登場するピエロやアルルカンといった道化たちは、ここで出会ったものです。次に装飾家クロード・オードランIII世の助手となりますが、彼はリュクサンブール宮の管理も兼ねていました。おかげでワトーは、同宮に飾られていたルーベンスの《マリー・ド・メディシスの生涯》連作を自由に研究することができたのです。
1712年にアカデミーの準会員に認められ、1717年、入会作品として《シテール島への巡礼》を提出。生涯病弱で、1719年から翌年にかけては高名な医師の診察を受けるためロンドンへ渡りますが、ロンドンの空気は体をさらに蝕みました。パリ近郊ノジャン=シュル=マルヌで、1721年、36歳で亡くなっています。
画風の特徴:素描の人、そして絹の光
ワトーの制作の中心にあったのは素描帖でした。彼は日常のなかで見かけた人物の姿勢や手つき、衣の皺を、赤・黒・白の三色のチョーク(トロワ・クレヨン)で描き溜め、絵を描くときはその蓄積から人物を選び出して画面に配置しました。だから彼の宴の絵は、目の前の光景の写生ではなく、記憶の断片を組み立てた「あり得たかもしれない情景」なのです。絹やサテンの光沢を、白い絵具を素早く置いて表現する筆さばきは当代随一で、背景の森や空は、輪郭をぼかした夢のような霞に包まれます。
代表作
- シテール島への巡礼(1717年、ルーヴル美術館、パリ):愛の女神の島へ旅立つ(あるいは帰る)恋人たちを描いたアカデミー入会作品。宴の終わりを思わせる微かな哀愁が漂います。ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿にはもう一つの版があります。
- ピエロ(ジル)(1718-19年頃、ルーヴル美術館):白い衣装で立ち尽くす道化師を等身大で描いた異色作。芝居の賑わいから一人取り残されたような虚ろな表情が、見る者を離しません。
- ジェルサンの看板(1720年、シャルロッテンブルク宮殿、ベルリン):画商ジェルサンの店先を描いた最晩年の傑作。左端でルイ14世の肖像画が箱にしまわれる場面が、過ぎゆく時代への眼差しとして読まれてきました。
- メズタン(1718-20年頃、メトロポリタン美術館、ニューヨーク):ギターを爪弾く喜劇の登場人物を描いた小品です。
- ヴェネツィアの祝祭(1718-19年頃、スコットランド・ナショナル・ギャラリー):舞う女性を中心に据えた雅宴画の代表例です。
同時代の画家との関係
ワトーの唯一の弟子といえるのがジャン=バティスト・パテルで、同郷の後輩でもありました。雅宴画をさらに軽やかに展開したのがニコラ・ランクレです。若きフランソワ・ブーシェは、ワトーの死後にその素描を版画に起こす仕事を任され、そこで学んだものを自らのロココ様式の土台としました。以後、フラゴナールへ、さらに19世紀のルノワールやターナーへと、ワトーの光と絹の描写は受け継がれていきます。
日本で見られるか
ワトーの主要な雅宴画はルーヴル美術館とベルリンに集中しており、国内に大作はほとんどありません。数少ない例として、東京富士美術館が《アントワーヌ・ド・ラ・ロックの肖像》を所蔵しています。日本でロココ絵画をまとめて見たい場合は、ブーシェやフラゴナールなど後続世代の作品を収める国立西洋美術館などが手がかりになります。
見どころ:実物の前で何を見るか
まず「宴のあと」を想像してみてください。ワトーの宴は永遠には続きません。この楽しい時間が終わったら——という視点で見ると、華やかな絵が急に切なくなります。次に、人物の顔ではなく背中と肩を見ること。ワトーは正面顔をあまり描かず、後ろ姿や横顔で感情を語らせます。そして絹の光。ハイライトの白い一筆がどこに置かれているかを追うと、この画家が絵具のどこに命をかけたかが見えてきます。
代表作ギャラリー








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