『月と六ペンス』:ゴーギャンをモデルに、芸術に取り憑かれた男を描いた古典

『月と六ペンス』:ゴーギャンをモデルに、芸術に取り憑かれた男を描いた古典

ロンドンの株式仲買人が四十を過ぎて妻子も職も捨て、絵を描くためにパリへ、そしてタヒチへ。ゴーギャンをモデルに「芸術に取り憑かれること」の恐ろしさを描いた、モームの代表的な長編小説です。新潮文庫・岩波文庫・光文社古典新訳文庫のいずれでも読めます。

はじめに:月を見上げるあまり、足元の六ペンスを見落とす男

『月と六ペンス』(サマセット・モーム 著)は、ポール・ゴーギャンをモデルにした長編小説です。主人公チャールズ・ストリックランドは、ロンドンで株式仲買人として穏やかに暮らしていた四十過ぎの男。ある日、妻子も職もあっさり捨ててパリへ消え、「絵を描かなければならない」と言い放ちます。

書誌

原著『The Moon and Sixpence』が世に出たのは1919年です。日本では長く中野好夫訳で読み継がれ、その後もくり返し新訳が重ねられてきました。いまは新潮文庫(金原瑞人訳、2014年)、岩波文庫(行方昭夫訳)、光文社古典新訳文庫(土屋政雄訳)などで手軽に読めます。訳の選択肢が多いことは、この小説がいまも現役で読まれ続けている証拠でもあります。

著者について

サマセット・モーム(1874〜1965)はイギリスの作家です。ロンドンで医学を修めたのち小説家に転じ、長編・短編・戯曲のいずれでも成功しました。代表作に『人間の絆』があり、短編の名手としても知られています。人間を突き放して観察する医師のような目は本作にも生きていて、ストリックランドの暴力的な身勝手さを、非難も擁護もせずに書き切る筆致につながっています。

内容の骨格

物語は、若い作家である語り手「私」が、ストリックランドの足跡を追いかける形で進みます。ロンドンでの平穏な家庭、パリでの困窮と他人への非情、そして南太平洋のタヒチ。舞台が移るごとに語り手が集める証言も変わり、断片をつなぎ合わせていく構成です。ストリックランドの内面が直接描かれることは、最後までありません。

この本の3つの見どころ(読みどころ)

1. ゴーギャンの生涯を、どう借りてどう変えたか

ゴーギャンもまたパリで株式の仲買にたずさわり、三十代半ばを過ぎて画業に専心し、やがてタヒチへ渡りました。モームはその骨格を借りながら、ストリックランドをイギリス人に変え、性格をより非情に彫り直しています。史実そのままではないと分かっていながら、読み終えるとゴーギャンの絵の見え方が変わってしまう。この「ずれ」こそ、モデル小説の面白さです。

2. 語り手の距離感がうまい

ストリックランドの内面には決して踏み込めず、断片的な証言と噂を継ぎ合わせるしかない。だから読者は最後まで彼を理解しきれず、そのぶん彼の異様さが際立ちます。モームの皮肉のきいた語り口も、この距離があってこそ効いています。

3. タヒチの章に流れる、静かな熱

南太平洋に渡ったストリックランドは、島の女アタと暮らし、病に体を壊しながら描き続けます。終盤で明かされる彼の最後の仕事の描写は、ゴーギャンが晩年に描いた大作を思わせるものです。芸術と引き換えに何を失うのかという問いが、ここで一気に立ち上がってきます。

どんな読者に向くか

美術史の予備知識はいりません。ゴーギャンの絵を一枚も知らなくても物語は成立しますし、文庫一冊分の長さなので通読向きです。訳文も新しいものを選べば、100年以上前の作品とは思えない速さで読めます。ただし一点だけ注意があります。これはゴーギャンの伝記ではありません。ストリックランドもアタも架空の人物で、性格や事件の多くはモームの創作です。史実を知りたい方は、評伝や画集を別に当たってください。逆に、そのずれを楽しめる方にとっては、これ以上の題材はありません。

類書と何が違うのか

画家を主人公にした小説の多くは、その画家に寄り添い、理解しようとします。本作はその逆です。語り手はストリックランドを最後まで好きになれず、理解もできない。読者にも理解させてくれない。天才を持ち上げるのでも断罪するのでもなく、ただ不可解なものとして置いておく——芸術家小説としてはかなり特異な立ち位置で、そこが百年読み継がれてきた理由でもあります。

関連して見に行けるもの

ゴーギャンの本気の一枚は、日本でも見られます。岡山・倉敷の大原美術館が所蔵する《かぐわしき大地》は、まさにタヒチ時代の作品です。小説のタヒチの章を読んだあとにこの絵の前へ立つと、モームが何を材料にして何を作り変えたのかが、肌で分かります。海外まで足を延ばせるなら、晩年の大作《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》はボストン美術館の所蔵で、パリのオルセー美術館にもタヒチ時代の名作が並びます。

まとめ

『月と六ペンス』は、題名そのものが問いになっている小説です。「月」は理想や芸術、「六ペンス」は足元の日常のたとえだと言われます。自分はいまどちらを見ているのか。読後にそう考えさせられる一冊です。

Kindle版:月と六ペンス(光文社古典新訳文庫)