『レオナルド・ダ・ヴィンチ』:ジョブズ伝の著者が描く、史上最高の「異能」の全体像

『レオナルド・ダ・ヴィンチ』:ジョブズ伝の著者が描く、史上最高の「異能」の全体像

スティーブ・ジョブズ伝で知られるアイザックソンが、7200ページの自筆ノートから天才の頭の中を再構築した決定版評伝。芸術と科学を横断した知の巨人の実像に迫ります。

はじめに:天才の「ノート」から人生を再構築する

『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(ウォルター・アイザックソン 著)は、『スティーブ・ジョブズ』の著者による本格評伝です。原著は2017年に発表され、日本語版は土方奈美さんの翻訳で2019年に文藝春秋から上下巻で刊行されました。2022年には文春文庫にも入っているので、いま手に取るなら文庫版が読みやすいでしょう。

著者が拠りどころにしたのは、現存する約7200ページの自筆ノートです。買い物のメモ、借金の覚え書き、思いつきの装置の図面、そして解剖のスケッチ。雑多な記述の山を丹念に読み込むことで、《モナ・リザ》の画家であると同時に解剖学者・工学者・舞台演出家でもあった万能人の全体像が、立体的に浮かび上がってきます。

著者について

ウォルター・アイザックソンさんはアメリカのジャーナリストで、『TIME』誌の編集長やCNNの経営トップを務めたのち、シンクタンクのアスペン研究所を率いた人物です。『スティーブ・ジョブズ』のほかに、アインシュタインやベンジャミン・フランクリンの評伝、コンピュータの歴史を描いた『イノベーターズ』、ゲノム編集を扱った『コード・ブレーカー』などを書いてきました。

つまり著者は美術史の専門家ではなく、伝記作家として一貫して「技術と人文の交差点に立つ人間」を追いかけてきた書き手です。本書がレオナルドを画家の枠に押し込めず、工学や解剖学までひと続きのものとして扱えるのは、この関心の持ち方から来ています。

この本の3つの見どころ(読みどころ)

1. 《モナ・リザ》の微笑の解剖学

唇を動かす筋肉の解剖研究が、あの微笑を生んだ——。レオナルドは実際に遺体を解剖して筋肉や神経を写生し、同時に光が眼にどう入るのかを考え、輪郭をぼかす「スフマート」という技法にたどり着きます。芸術と科学が天才のなかで不可分だったことを示すエピソードの数々は、美術ファンにも科学ファンにも刺激的です。心臓の弁のまわりの血の渦を観察した記述など、数百年後に正しさが確かめられた研究が出てくるくだりは圧巻です。

2. 完璧主義者の「未完成」力

レオナルドは注文を放り出し、作品を完成させないことで悪名高い人物でもありました。《東方三博士の礼拝》は下絵の段階で放置され、《モナ・リザ》にいたっては注文主に引き渡さないまま晩年まで手元に置き、描き足し続けています。脱線と未完成こそが創造の源泉だったという著者の分析は、締め切りに追われる現代の私たちへの、最高の励ましになっています。

3. ルネサンスという時代の空気

私生児として生まれ、正規のラテン語教育を受けられなかったこと。フィレンツェのヴェロッキオ工房での修業。軍事技術者として自分を売り込む手紙を書いてミラノ宮廷に移ったこと。そして年下のミケランジェロとの確執。15〜16世紀イタリアの群像劇としても一級で、ルネサンス美術の背景理解が一気に深まります。

どんな読者に向くか

美術史の予備知識は要りません。専門用語は出てくるたびに説明され、ルネサンスの前提も本文が補ってくれます。ただし上下巻の大著で、通読には相応の時間がかかります。

助かるのは、章立てが時期と関心領域で細かく区切られていることです。解剖、水の流れ、《モナ・リザ》といった具合に主題ごとにまとまっているので、気になる章から拾い読みしても十分に成立します。通読しても、辞書的に引いても機能するのが、この評伝の便利なところです。

一方、絵画を一点ずつ図版で読み解く本を探している人には、物足りないかもしれません。本書の主眼は作品論ではなく、ノートから再構築した人物像のほうにあります。

この本を読んだ後の、おすすめのアクション

素描(ドローイング)を見る:レオナルドの真骨頂は素描にあります。画集で準備素描や解剖図を見ると、線の一本一本に思考が宿っていることがわかります。真作とされる絵画は世界に二十点にも満たず、しかも日本の美術館はレオナルドの絵画を所蔵していません。国内で本物に会える機会はごく限られ、本や画集を通じて出会う価値の大きい画家です。

同時代の西洋絵画で目を慣らす:東京・上野の国立西洋美術館の常設展では、ルネサンス期から20世紀までの西洋絵画の流れをまとめて見渡せます。レオナルド本人の作品はありませんが、彼が生きた時代の絵の見え方を体で覚えておくと、画集を開いたときの解像度が変わります。

まとめ

『レオナルド・ダ・ヴィンチ』は、「好奇心こそ最強の才能」であることを教えてくれる評伝です。読み応えは十分ですが、美術史の予備知識がなくても読み進められるので、ルネサンスへの入口としてもおすすめできる一冊です。

Kindle版:レオナルド・ダ・ヴィンチ 上(文春文庫)