『写真論』:写真を撮ることは世界を所有することだと言い切った本

『写真論』:写真を撮ることは世界を所有することだと言い切った本

批評家スーザン・ソンタグが、写真という行為そのものを倫理と権力の問題として論じた古典的評論集。撮る・見る・集めるという当たり前の営みに潜むものを暴き出し、いまも写真を語る言葉の土台になっています。

誰もが一日に何枚も写真を撮る時代になりました。だからこそ、写真を撮るとはどういう行為なのかを立ち止まって考える本が要ります。『写真論』(スーザン・ソンタグ 著)は、その問いに真正面から取り組んだ評論集です。近藤耕人さんの訳で晶文社から1979年に刊行され、現在は新版として入手できます。

著者のスーザン・ソンタグはアメリカの批評家・作家で、文学から政治まで幅広く論じた人です。本書は写真の技術や歴史を解説する本ではありません。写真が世界との関わり方をどう変えたのかを、複数の論考から多角的に照らし出す構成になっています。

この本の3つの読みどころ

1. 撮影を「所有」として捉える視点

本書の出発点は、写真を撮ることが対象を手に入れることに似ているという指摘です。旅先で風景を撮り、家族を撮り、事件を撮る。その行為には、対象を切り取り、持ち帰り、自分のものにする側面があります。攻撃的とも言える言葉で語られるこの視点は、初読時にはやや過激に感じられるかもしれません。しかし写真アプリを開くたびに、この指摘が頭をよぎるようになります。

2. 見ることの倫理を問う

ソンタグが繰り返し扱うのは、悲惨な出来事の写真をめぐる問題です。戦争や災害の写真は、人に何かを訴えると同時に、見慣れさせもする。強い衝撃を受けた画像も、繰り返し目にするうちに反応が鈍くなっていきます。写真が現実を伝える力と、その力が摩耗していく過程。報道写真をどう受け取るべきかという現在進行形の問いに、本書は早い時期から言葉を与えていました。

3. 写真が現実の基準になっていく過程

私たちは、ある出来事を写真で見て初めて「本当にあった」と感じます。逆に言えば、写真に撮られなかったものは記憶から抜け落ちやすい。ソンタグは、写真が現実の代理ではなく、現実を判定する基準の位置に就いてしまったことを論じます。この指摘は、画像の生成や加工が容易になった現在ではむしろ切実さを増しています。

どんな読者に向くか

予備知識としての写真史は不要ですが、平易な本ではありません。断定の強い文体で議論が進み、具体的な作家名や作品への言及も多いため、途中で立ち止まりながら読むことになります。各章がある程度独立した論考なので、頭から順に読み通さなくても構いません。まず気になる章から入り、面白ければ全体に戻る読み方をおすすめします。写真を撮る方、写真展に足を運ぶ方はもちろん、SNSで日々画像を消費していることに違和感を覚えている方にも刺さる本です。写真をめぐる議論の共通言語として、いまも引用され続けている一冊ですので、写真論を読むならどこかで通る必要がある本だと言えます。

関連して見に行けるもの

写真作品をまとまって見られる場所としては、東京・恵比寿の東京都写真美術館が国内で最も充実しています。写真と映像に特化した公立美術館で、国内外の写真を所蔵し、企画展を絶えず開いています。報道写真については、東京・南青山にあった施設をはじめ各地で企画展が組まれるほか、京都国立近代美術館も写真コレクションを持っています。本書を読んだあとで展示室に立つと、写された人と写した人の関係を意識せずにいられなくなります。その居心地の悪さこそが、ソンタグが読者に残そうとしたものかもしれません。

まとめ

『写真論』は、写真をうまく撮るための本でも、名作を教えてくれる本でもありません。写真という行為の足元を掘り崩す本です。読んだあとしばらくはシャッターを切る指が少し重くなる。その重さを一度経験しておくことに、この古典を読む意味があります。

Kindle版:新版 写真論