ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ:詩人にして画家、ラファエル前派を率いた耽美の求道者

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ:詩人にして画家、ラファエル前派を率いた耽美の求道者

画家

弱冠20歳でラファエル前派同盟を結成し、亡き妻をモデルに描いた「ベアタ・ベアトリクス」で知られるダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ。詩と絵画を融合させ、耽美的な女性像を追求し続けた生涯。

はじめに:詩と絵画を融合させた、ラファエル前派の中心人物

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-1882)は、19世紀イギリスの画家・詩人です。1848年、ジョン・エヴァレット・ミレイやウィリアム・ホルマン・ハントらとともに「ラファエル前派同盟」を結成し、当時のアカデミズム絵画に反旗を翻しました。中世的な物語性と官能的な女性美を融合させた独自の画風で、詩と絵画を分かちがたく結びつけた作品を数多く生み出しています。

生涯:同盟の結成から、亡き妻への追慕へ

ロセッティはロンドンに生まれました。父ガブリエーレはイタリアから亡命した詩人・ダンテ研究者で、家庭は文学と芸術の空気に満ちています。妹のクリスティーナは後にヴィクトリア朝を代表する詩人となり、弟ウィリアム・マイケルは批評家として一族の記録者になりました。中世イタリアの詩人ダンテにちなむ名を持つこの環境が、彼の主題を生涯にわたって規定します。

ロイヤル・アカデミー付属美術学校に学びますが、体系的な訓練になじめず、フォード・マドックス・ブラウンのもとで短期間指導を受けました。1848年、20歳のときにミレイ、ホルマン・ハントら7人でラファエル前派同盟(PRB)を結成。ラファエロ以降のアカデミー的な理想化を退け、それ以前の初期イタリア絵画の率直さに立ち返ろうとする運動でした。

1850年代、ロセッティは帽子店で働いていたエリザベス・シダルと出会います。彼女はモデルであると同時に自らも詩と絵を手がける人でした。長い交際の末、1860年に結婚。しかし健康を害していたシダルは1862年、アヘンチンキの過剰摂取により死去します。深い悲しみと自責の中でロセッティは自作の詩稿を彼女の棺に納め——のちに掘り起こして出版することになります——妻を偲ぶ「ベアタ・ベアトリクス」を制作しました。

晩年は友人ウィリアム・モリスの妻ジェーン・モリスをモデルにした官能的な女性像を数多く手がけます。同時に抱水クロラールとアルコールへの依存が進み、1872年には深刻な精神的破綻を経験しました。1882年、療養先のバーチントン=オン=シーで53歳で没しています。

画風の特徴:物語を捨て、顔だけが残る

ロセッティの画風は、生涯で大きく二度変わります。初期のラファエル前派時代は、明るい下地の上に細い筆で色を置く手法で、細部まで焦点の合った鮮烈な画面を作りました。宗教的な主題を、聖人らしからぬ生々しい少女の姿で描いた点が当時の物議を醸しています。

1860年代以降、ロセッティは大きく方向を転じました。物語の場面を描くことをやめ、画面いっぱいに一人の女性の顔と上半身だけを配する形式にたどり着きます。豊かな赤褐色の髪、長い首、厚い唇、伏せた目。背景には花や果実、楽器が象徴として配され、意味は説明されません。色彩も初期の透明感から、深紅と緑を基調とするヴェネツィア絵画的な重厚さへ移りました。

そして彼の絵には、しばしば自作のソネットが添えられます。絵が詩を説明するのでも、詩が絵を解説するのでもなく、二つが並んで一つの気分をつくる——この詩画一体の姿勢こそ、ロセッティを他の画家から決定的に分けるものです。

代表作

  • 乙女マリアの少女時代(1848-49年/テート・ブリテン、ロンドン)——ラファエル前派同盟結成直後に描かれた最初期の油彩。「PRB」の署名を入れて1849年に発表された、運動の理念を体現する記念碑的作品です。
  • エッケ・アンチラ・ドミニ!(受胎告知)(1849-50年/テート・ブリテン)——白を基調にした異例の受胎告知。おびえた少女としてのマリアという解釈が当時激しい批判を浴びました。
  • ベアタ・ベアトリクス(1860年代/テート・ブリテン)——ダンテの『新生』に登場するベアトリーチェの死の瞬間を、亡き妻エリザベス・シダルの面影を重ねて描いた鎮魂の作品です。
  • プロセルピナ(1874年/テート・ブリテン)——ジェーン・モリスをモデルに、冥界に囚われた女神を描いた晩年の代表作。憂いに満ちた表情と柘榴の実が忘れがたい一枚です。
  • アスタルテ・シリアカ(1877年/マンチェスター・アート・ギャラリー)——等身大を超える女神像。晩年の重厚な様式の到達点です。

同時代の画家たちとの関係

ラファエル前派同盟の同志がジョン・エヴァレット・ミレイウィリアム・ホルマン・ハント。年長のフォード・マドックス・ブラウンは師であり終生の友でした。批評家ジョン・ラスキンは同盟の擁護者となり、ロセッティを経済的にも支えます。

1857年のオックスフォード・ユニオン壁画の仕事で、ロセッティは学生だったウィリアム・モリスエドワード・バーン=ジョーンズを引き入れました。この二人がラファエル前派第二世代となり、モリス商会とアーツ・アンド・クラフツ運動を生みます。ただしロセッティとジェーン・モリスの関係は、モリスとの友情に長く影を落としました。彼の耽美的な女性像は、世紀末の唯美主義とアール・ヌーヴォーへ受け継がれていきます。

日本で見られるか

日本にロセッティの大作は多くありませんが、郡山市立美術館(福島県)がイギリス美術を収集の柱に据え、ロセッティやバーン=ジョーンズ、ウォーターハウス、アルバート・ムーアといったラファエル前派周辺の作品を所蔵しています。国内でこの流派を系統的に見られる数少ない美術館です。また数年おきに、テート・ブリテンやリヴァプール国立美術館の所蔵品を借りたラファエル前派展が国内を巡回しており、そこで代表作に会える機会があります。

見どころ

実物の前では、まず首と手を見てください。ロセッティの女性像は、首が異様に長く、手が大きく描かれています。この歪みが官能性の正体です。次に背景の小道具。柘榴、忍冬、蝶、日時計——それぞれが意味を持ちますが、画家は答えを与えません。何を象徴するかを自分で考える余地こそ、この絵の仕掛けです。そして額縁。ロセッティは額を自らデザインし、そこに自作の詩を刻むことがありました。額まで含めて一つの作品なので、展示で額が見える位置に立って全体を眺めてみてください。

代表作ギャラリー

プロセルピナ
プロセルピナ1874年テート・ブリテン
ベアタ・ベアトリクス
ベアタ・ベアトリクス1870年頃テート・ブリテン
受胎告知(見よ、我は主のはしためなり)
受胎告知(見よ、我は主のはしためなり)1850年テート・ブリテン
キスされた唇
キスされた唇1859年ボストン美術館
幼児のマリア
幼児のマリア1850年テイト・ブリテン
レディ・リリス
レディ・リリス1866年メトロポリタン美術館
ベアトリーチェの死とダンテの夢
ベアトリーチェの死とダンテの夢1871年ウォーカー・アート・ギャラリー
ヴェロニカ・ヴェロネーゼ
ヴェロニカ・ヴェロネーゼ1872年デラウェア美術館

作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)