ウジェーヌ・ドラクロワ:色彩の嵐と情熱のダイナミズム、フランス革命の怒涛を描いたロマン主義の闘将

ウジェーヌ・ドラクロワ:色彩の嵐と情熱のダイナミズム、フランス革命の怒涛を描いたロマン主義の闘将

画家

「民衆を導く自由の女神」を描いたドラクロワ。アングルの冷徹な古典主義と激しく対立し、激しい色彩と躍動する線の表現によって、激動の19世紀フランスで人間の情熱とロマン主義の勝利を叫び続けた巨匠の一生。

ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)は、19世紀フランスのロマン主義を代表する画家です。当時の画壇で権威だった新古典主義が、正確なデッサンと明快な輪郭線を重んじたのに対し、ドラクロワは色彩と筆触、そして激しい動きを優先しました。歴史の惨劇、異国の情景、文学の悲劇——人間の抑えきれない感情が渦を巻く画面が、彼の主戦場です。

生涯:デビュー作での衝撃、モロッコ、そして壁画の仕事

1798年4月26日、パリ近郊のシャラントン=サン=モーリスに生まれました。父は政治家・外交官で、恵まれた環境で育ちますが、10代で両親を相次いで亡くします。画家ピエール=ナルシス・ゲランの画塾に学び、同門にテオドール・ジェリコーがいました。ジェリコーの《メデューズ号の筏》には、ドラクロワ自身がモデルの一人として登場しています。

1822年のサロンに《ダンテの小舟》で初出品し、注目を集めました。1824年の《キオス島の虐殺》では、ギリシャ独立戦争でオスマン軍がキオス島の住民を虐殺した事件を、英雄的な勝利ではなく敗者の惨状として描き、賛否両論を巻き起こします。1830年の七月革命を受けて描いた《民衆を導く自由の女神》は、翌年のサロンに出品されました。なお、ドラクロワ自身は市街戦に加わってはいません。

1832年、フランスの外交使節に同行してモロッコとアルジェリアを旅したことが決定的な転機となります。強い日射しの下の色彩と、イスラム世界の生活に触れた体験は、以後30年にわたって作品の源泉になりました。晩年は公共建築の装飾に力を注ぎ、ブルボン宮(下院)や上院の図書館天井画、ルーヴル宮アポロンのギャラリー、パリのサン・シュルピス教会礼拝堂の壁画(1855-61年)を手がけています。1863年8月13日、パリで65歳で没しました。

画風の特徴

ドラクロワの絵では、輪郭線がしばしば意図的に曖昧にされています。形は線ではなく、色の面と筆の運びで作られ、近くで見ると絵具が荒々しく残っていることが分かります。もうひとつの核心が補色の扱いです。影に単純な茶や黒を使わず、隣接する色の補色を混ぜ込むことで、影が生き生きと発色します。この方法は、のちの印象派や新印象派が理論化した色彩分割の先駆けとされ、シニャックは著書のなかでドラクロワを出発点に位置づけました。構図は対角線を大きく使い、人物や動物が画面を斜めに横切ることで動きを生みます。生涯にわたって書き継いだ『日記』は、19世紀美術の重要な文献でもあります。

代表作

  • 民衆を導く自由の女神(1830年、ルーヴル美術館):三色旗を掲げた自由の擬人像を先頭に、労働者、学生、少年など異なる階層の人々が瓦礫を越えて進みます。
  • キオス島の虐殺(1824年、ルーヴル美術館):ギリシャ独立戦争の惨劇を、絶望する人々の群像として描いた問題作です。
  • サルダナパールの死(1827年、ルーヴル美術館):バイロンの詩に着想を得た、赤を基調とする混沌とした大画面です。
  • アルジェの女たち(1834年、ルーヴル美術館):モロッコ・アルジェリア旅行後に描かれた室内画。光と色の調和が高く評価され、ピカソは1954-55年にこの作品に基づく15点の連作を制作しました。
  • 《聖母の教育》(国立西洋美術館、P.1970-0001)は1852年、油彩・カンヴァス、46×55.5cm。ドラクロワが1842年にジョルジュ・サンド邸で描いた同主題作の10年後の作。
  • 同時代の画家との関係

    最もよく語られるのが、新古典主義を率いたジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルとの対立です。線を重んじるアングルと、色を重んじるドラクロワの争いは「デッサン派対色彩派」として当時の画壇を二分しました。ただしこれは同時代のジャーナリズムが強調した図式でもあり、両者が直接論争を戦わせたわけではありません。テオドール・ジェリコーは画塾の先輩であり、ロマン主義の先駆者としてドラクロワに大きな影響を与えました。イギリスのジョン・コンスタブルの風景画を1824年のサロンで見た経験は、《キオス島の虐殺》の加筆にまで及んだと伝えられます。批評家シャルル・ボードレールはドラクロワの熱心な擁護者でした。後世では、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、マティスがそれぞれドラクロワ作品を模写しています。

    日本で見られるか

    日本にも作品があります。国立西洋美術館は《聖母の教育》(1852年)のほか版画・素描を所蔵。東京富士美術館のドラクロワ油彩は《オランのアラブ人》(1834年)、《手綱を持つチェルケス人》(1858年頃)、《書斎のドン・キホーテ》(1824年)で、《ドイツ兵士》は1833年彫版・1865年出版の版画。ただし国内にある数は多くなく、《民衆を導く自由の女神》のような大作は、ごく稀に開かれる大規模な借用展でしか見られません。

    見どころ

    ドラクロワの絵は、離れて見たあと必ず近寄ってください。遠目には滑らかに見える肌や布地が、近づくと短く途切れた筆の跡の集まりであることが分かります。次に影を見てください。暗い部分にも緑や青、赤が仕込まれていて、単色で塗られていません。そして画面を斜めに横切る線を探してください。旗、剣、腕、馬の首——これらが対角線上に並び、静止画のはずの絵に速度を与えています。人物の顔の表情より、体全体の傾きと勢いを見るのが、この画家の鑑賞法です。

代表作ギャラリー

民衆を導く自由の女神
民衆を導く自由の女神1830年ルーヴル美術館
キオス島の虐殺
キオス島の虐殺1824年ルーヴル美術館
サルダナパールの死
サルダナパールの死1827年ルーヴル美術館
ダンテの小舟
ダンテの小舟1822年展示室700
アルジェの女たち
アルジェの女たち1834年展示室700
ミソロンギの廃墟に立つギリシア
ミソロンギの廃墟に立つギリシア1826年ボルドー美術館
墓場の少女
墓場の少女1824年展示室950
第4回十字軍のコンスタンティノポリス入城
第4回十字軍のコンスタンティノポリス入城1840年展示室700

作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)