ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー:光と大気を溶かし込み、抽象絵画を1世紀先取りしたイギリスの風景画家
嵐の海や燃え上がる議事堂を、形が溶け出すような光と色彩の渦として描いたターナー。理髪師の息子から王立芸術院の重鎮へと駆け上がり、印象派や抽象絵画を先取りした「光の預言者」の生涯。
はじめに:形を溶かし、光そのものを描く
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)は、イギリスを代表するロマン主義の風景画家です。彼の画業の後半生における作品は、船や建物といった具体的な形が、渦を巻く光と色彩の中へ溶け込んでいくかのような、驚くほど抽象度の高い表現へと向かいました。嵐に翻弄される船、燃え上がる議事堂、疾走する蒸気機関車といった主題を通して、自然の圧倒的な力と、産業革命がもたらした近代の速度を、当時としては類を見ない大胆な筆致で描き出しました。この革新性は、後の印象派や、さらには20世紀の抽象絵画にまで影響を及ぼしたと評価されています。
生涯:理髪師の息子から、王立芸術院の重鎮へ
ロンドンの理髪師の家に生まれたターナーは、幼少期から絵の才能を示し、14歳という若さで王立芸術アカデミーに入学。優れた技術で早くから注目され、20代で王立芸術院の正会員に選出されるという異例の出世を遂げました。生涯にわたりイギリス各地やヨーロッパ大陸を旅して膨大なスケッチを残し、特にイタリア・ヴェネツィアの光と水の風景に深く魅了されています。私生活については多くを語らず孤独を好んだ一方、晩年には偽名を使って市井に紛れて暮らしていたとも伝えられる、謎めいた人物でもありました。
3つの代表作解説
- 雨、蒸気、速度―グレート・ウェスタン鉄道(ロンドン・ナショナル・ギャラリー): 豪雨の中を疾走する蒸気機関車を、輪郭が滲むような筆致で描いた作品。近代化がもたらす速度と力そのものを主題にした、時代を先取りする一枚です。
- 国会議事堂の火災(フィラデルフィア美術館ほか): 1834年に実際にロンドンで起きた大火災を、テムズ川越しに目撃したターナーが、燃え盛る炎とその反射光をドラマチックに描いた作品。
- 解体されるために最後の停泊地に曳かれるファイティング・テメレール号(ロンドン・ナショナル・ギャラリー): かつてトラファルガーの海戦で活躍した帆船が、小さな蒸気船に曳かれて解体場へと向かう夕景を描いた作品。帆船の時代の終焉と、蒸気の時代の到来を象徴的に描いた、イギリスで最も愛される絵画の一つです。