アンリ・マティス:強烈な色彩と自由な線で「生きる喜び」を歌った、色彩の解放者
ピカソが生涯最大のライバルと認めたマティス。現実のルールにとらわれない強烈な色彩(フォービスム)から出発し、晩年は車椅子の上からハサミを使って「切り紙絵」という独自の視覚アートに到達した生涯です。
アンリ・マティス(1869-1954)は、フランスの画家です。「色彩の魔術師」と呼ばれ、20世紀美術をピカソと二分する存在とされます。目に見えるとおりの色ではなく、画面の上で最も効果を発揮する色を選ぶ——その考え方を徹底し、絵画から自然の再現という役割を切り離しました。1908年に発表した文章では、絵画を、疲れた人が身を休める安楽椅子のようなものにしたいと述べています。
生涯:法律事務所から画家へ、そして切り紙絵へ
1869年12月31日、フランス北部のル・カトー=カンブレジに生まれました。父は種苗商で、マティス自身は法律を学び、法律事務所の書記として働いていました。1889年、虫垂炎の療養中に母から絵具箱を贈られたことが転機となり、翌年から本格的に絵を志します。パリではギュスターヴ・モローの教室に学び、同門にジョルジュ・ルオーやアルベール・マルケがいました。
1905年秋のサロン・ドートンヌで、マティスやアンドレ・ドランらの強烈な原色の作品が並んだ一室を、批評家ルイ・ヴォークセルが野獣(フォーヴ)にたとえたことから「フォーヴィスム(野獣派)」の呼び名が生まれます。マティスはその中心人物と目されました。運動自体は数年で収束しますが、彼の色彩探求は続きます。1917年ごろから南仏ニースに拠点を移し、室内と女性像を主題に、装飾的で穏やかな作品を多く描きました。
1941年、十二指腸の癌の手術を受け、以後は車椅子とベッドでの生活となります。絵筆を長時間握れなくなった彼は、彩色した紙をハサミで切り抜いて構成する「切り紙絵(グアッシュ・デクパージュ)」に到達しました。1948年から51年にはヴァンスのロザリオ礼拝堂の設計と装飾を、ステンドグラスから祭服まで一手に手がけています。1954年11月3日、ニースで死去しました。
画風の特徴
マティスの絵では、色が形と空間の両方を担います。影を暗い色で描かず、隣り合う色の関係で奥行きを感じさせるため、画面は明るく平坦になります。室内画では、壁紙、テーブルクロス、衣服の模様が同じ平面上でつながり、家具や人物の輪郭を飲み込んでしまうことがあります。線は太く単純化され、対象の特徴だけを拾います。晩年の切り紙絵では、「色を塗る」と「形を描く」という二つの作業がハサミの一動作に統合され、輪郭と色面が同時に生まれました。
代表作
- ダンス(1910年、エルミタージュ美術館):5人の裸体が手をつないで輪になる大作。青・緑・朱の三色だけで構成されています。1909年制作の別ヴァージョンがニューヨーク近代美術館にあります。
- 赤のハーモニー(赤い部屋)(1908年、エルミタージュ美術館):テーブルと壁が同じ赤の唐草模様で一体化し、三次元の空間が平面へ翻訳された記念碑的作品です。
- 生きる喜び(1905-06年、バーンズ・コレクション、フィラデルフィア):フォーヴィスム期の代表作で、のちの《ダンス》につながる構図が含まれます。
- ジャズ(1947年刊行):切り紙絵をもとにした版画集。《イカロス》などが収められています。
- マティス嬢の肖像(1918年、大原美術館):日本で見られる油彩の一点です。
同時代の画家との関係
パブロ・ピカソとの関係が最も知られています。ピカソはマティスより12歳年下で、二人は互いの作品を注視し合う競争相手であり、同時に長い友人でもありました。作品を交換したこともあります。作風は正反対で、マティスが色と装飾へ向かったのに対し、ピカソは形の解体へ進みました。師のギュスターヴ・モローは、決まった型を教えず個々の資質を伸ばす指導者でした。ポール・シニャックとは1904年の夏にサン=トロペで共に制作し、分割主義を吸収しています。アンドレ・ドラン、モーリス・ド・ヴラマンクはフォーヴィスムの同志でした。コレクターのセルゲイ・シチューキンとイワン・モロゾフがマティスの重要作を多数買い上げたため、《ダンス》《赤のハーモニー》をはじめとする傑作がロシアに集まりました。
日本で見られるか
日本にも作品があります。大原美術館(岡山県倉敷市)が《マティス嬢の肖像》(1918年)を所蔵し、ポーラ美術館(箱根)は油彩を含む10点余りを持ちます。国立西洋美術館は素描や版画を、ひろしま美術館、東京国立近代美術館、アーティゾン美術館なども作品を所蔵しています。切り紙絵や版画は光に弱く、常設展示とは限りません。
見どころ
マティスの絵の前では、まず影を探してください。ほとんど見つからないはずです。暗い色で立体を作る代わりに、色と色の関係だけで前後が示されています。次に、模様が人物や家具の境界を越えて続いていないかを確かめてください。空間を平面へ畳み込むマティスの手つきが、そこに見えます。切り紙絵では、紙の縁を見てください。ハサミの切り口がそのまま線になっており、鉛筆で下描きした跡がありません。迷いのないその輪郭が、80歳を過ぎた画家の到達点です。
代表作ギャラリー







作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)


