ティツィアーノ・ヴェチェッリオ:色彩こそが絵画の魂だと証明した、ヴェネツィア派の帝王
フィレンツェ派が線描を重視したのに対し、色彩の重なりで形と光を生み出す独自の油彩技法を確立したティツィアーノ。神聖ローマ皇帝からも寵愛され、90年近い生涯を第一線で描き続けたヴェネツィア派の巨匠。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488頃-1576)は、イタリアの画家です。盛期ルネサンスから後期ルネサンスにかけてヴェネツィアで活動し、ヴェネツィア派最大の巨匠と呼ばれます。
生涯:山間の町から、ヨーロッパ随一の宮廷画家へ
ヴェネツィア領内のドロミーティ山麓の町ピエーヴェ・ディ・カドーレに生まれました。生年の記録がはっきりせず、1488年から1490年頃と推定されています。少年期にヴェネツィアへ出てモザイク職人のもとで修業し、その後ジェンティーレとジョヴァンニのベッリーニ兄弟の工房に入りました。若い頃はジョルジョーネと共同で仕事をしており、初期の作品には両者の区別がつきにくいものがあります。
1516年にジョヴァンニ・ベッリーニが没すると、ヴェネツィア共和国の公式画家の地位を継ぎました。1530年代以降は神聖ローマ皇帝カール5世、続いてスペイン王フェリペ2世の厚遇を受け、1533年には皇帝から騎士の称号を与えられています。晩年まで注文が絶えず、1576年、ヴェネツィアで没しました。80歳代後半に達していたとみられます。
画風の特徴
フィレンツェやローマの画家が素描(ディセーニョ)を絵画の骨格としたのに対し、ティツィアーノは油絵具を薄く何層も重ねる「コロリート(色彩)」で形をつくりました。輪郭線を引かず、色と色が接する境目そのものを形の縁とする方法です。晩年になるほど筆致は粗くなり、絵具を指でこすりつけた跡が残る作品もあります。近くで見ると絵具の塊にしか見えないものが、離れると人体になる——この効果を意識的に使った最初期の画家の一人です。
代表作
- 聖母被昇天(1516-18年/サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂、ヴェネツィア):高さ約7メートルの祭壇画。赤を軸に構成された三層の画面です。
- バッカスとアリアドネ(1520-23年/ロンドン・ナショナル・ギャラリー):高価な顔料ウルトラマリンをふんだんに使った青空が有名です。
- ウルビーノのヴィーナス(1534年頃/ウフィツィ美術館):横たわる裸婦像の規範となり、のちにマネの《オランピア》の下敷きになりました。
- カール5世騎馬像(1548年/プラド美術館):ミュールベルクの戦いの皇帝を描き、以後の権力者の騎馬肖像の型をつくりました。
- ピエタ(1576年/アカデミア美術館、ヴェネツィア):自身の墓所のために描き、未完のまま残された最後の作品です。
同時代の画家との関係
師はジョヴァンニ・ベッリーニ、同世代の盟友がジョルジョーネです。次の世代ではティントレットとヴェロネーゼが彼と競い合い、ヴェネツィア派を継ぎました。その色彩技法はルーベンス、ベラスケス、レンブラントへと受け継がれています。
日本で見られるか
国立西洋美術館が、ティツィアーノと工房による《洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ》(1560-70年頃)を所蔵しています。ただし国内に自筆の主要作は多くなく、代表作を見るにはイタリアやスペインを訪ねるか、来日展を待つことになります。
見どころ
暗い部分に注目してください。ティツィアーノの影は黒ではなく、赤や褐色が透けて見える半透明の層でできています。次に、輪郭を目で追ってみてください。線がどこにも引かれていないのに形が立ち上がることに気づくはずです。晩年作では、その筆跡の粗さと形の確かさの落差が最大になります。
代表作ギャラリー


作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)